スタージャッジ 第3話
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通路からの出入り口の近くにあった艦載機がいきなりスライドした。ぐしゃりとぶつかり潰れて出入り口が完全にふさがれる。その艦載機を押しやったものが、僕らの前で変形しはじめた。
「ロボットだったのか!?」
維持省の隊員達が驚愕の声を上げた。三台の艦載機のうち中央にあった全長二十メートルぐらいの黒い小さな機体が、今や完全に人型となって立ち上がる。その腹部が開き、あの異形が現れた。
「あーあ。リプ、レース、モードで動ける、ス、タージャッジなんて初めて見た。最初から直、接やらなく、て良かったよ」

あの時はよく認識できなかったマリス本体の姿。身長は百六十センチメートルぐらい。二本の手、二本の足。体の構成は地球人によく似ている。頭部が大きく肩から下が細いためバランスは子供のようだ。目はアザラシを思わせるように黒く大きく、顔は皺だらけ。身体全体はやや青みがかった石膏のよう。端子と思える赤や黒の帯状の隆起が身体のあちこちに走り、そこからケーブルとも触手ともつかないものが伸びてロボットとつながっている。首から大きめのメタルのようなものを下げていた。

「‥‥お前、スキンすら、遠隔操作できるのか?」
「もちろん。あれ、毎回、仕事に合わせてつ、く、るんだ。コントローラーも入れられる、けど、ここまでしたの初めて。ったく、キミって、やんなっちゃう」


「マリス。そこから大人しく降りてこい。これ以上抵抗してもお前のためにならんぞ」
僕の前に踏み出してそう言った秩序維持省の指揮官に対して、マリスが身を乗り出した。
「あんた達さ、人のジャマ、しないで欲しいんだけどな」
「なんだと?」
「せっかく、つ、かまえたス、タージャッジが逃げ出して、そっち行こうとしたら包囲す、るし、今だってさ」
不機嫌そうにそう言った白い顔が急に満面の笑みを見せた。
「ああ、でも。いいこと思いつ、いた。一つ、取引しない?」
「取引だと?」

「ボク、に、その地球人とス、タージャッジを頂戴。ボク、がその二人を殺し終えたら、つ、かまってあげる。聞きたいこと、何でも教えてあげる、よ」
思わず身構えた。この十名以上の人間が敵に回ったら‥‥!

だが肩越しにこちらを見やった指揮官は、ゴーグルの偏光を調整して僕に素顔をさらした。四ツ目のうち下の一対でぱちりとウインクをして見せると、またマリスに向き直った。
「そんな要求を呑む気は無い。お前が取引に使える材料は、あくまでお前の受ける報いの減刑だけだ」
「どうして? あんたにとってはす、ごく、いい取引だと思う、のに。だってビメイダーはただの"物"だろ?」

「確かにお前は"人"だな。己の運命の不幸な部分のみ煮詰め、恨みの対象を不当に拡張して、無関係な存在を殺めるなど、"人"にしかできないことだ。だが愛する者を守りたい一心で限界を超えた力を発揮した0079の行動も、十分に自由人の証だろう。はっきり言っておく。この二人は我々の協力者と保護対象だ」

〈‥‥信じて、いいのか? だって作戦では‥‥〉
安堵よりむしろ驚いてしまった僕は、そう呟いていた。
〈現場は常に臨機応変だ。不快な思いもさせたろうが、勘弁しろ〉
指揮官が背中のままそう返してきた。

一方のマリスは呆れたように肩をすくめた。
「意外とバカだね。じゃ、仕方ない。まず、あんたらからだ。よく、見とけよ、ス、タージャッジ。キミが、どれだけの人間を巻き添えにす‥‥」

ずん、という音が響いて、奴のロボットの足元で爆発が起こった。維持省の隊員達が抜け目なく爆弾を仕掛けていたのだ。だが。
「無駄だよ。ボク、のアーマー、そんなものじゃ壊れない!」
マリスがロボット、いや巨大アーマーに吸い込まれると同時に、巨人は周囲にいた隊員達を蹴り払い、腕を振り下ろす。僕は陽子を抱えて飛び退いた。

隊員達は反重力ディスクに乗って動き回り、囮と攻撃を巧みに入れ替えて、関節部を狙って攻撃を加えている。だが強力なシールドが施されているようで、巨大アーマーの動きはほとんど変わらない。この大きさにして信じられないスピード。敵が大きい故に逃げ回れているが、このままでは‥‥。

「マゼラン、あの模様、もう少しで揃うの」
抱き上げていた陽子にそう言われてびっくりした。
「ハッチの鍵のことか? なぜわかった?」
「あの白い人のロケットのデザインなの。百合みたいな花。パパ達の写真を見せてくれたの」
あのメタルは家族の写真を入れたロケットか。僕がマリスのスキンとやりあってた間、陽子はずっとあの鍵を開けようとしてたんだ‥‥。陽子が僕の腕から滑り降りた。
「違ってるかもしれないけど、ピースの数もちょうど合うの。あたし、やってみる」

しばらく陽子を見つめて、僕は頷いた。体内のベース・クロックが異様な速さで時を刻み始めていた。髪飾りを差し出すと、陽子が嬉しそうにそれを受け取る。僕は維持省の回線に言った。
「二名こっちに回して、陽子を手伝ってくれ。艦載機用のハッチを開けられるかもしれない」

少女の両肩に手を置いて、その顔をもう一度覗き込んだ。乱れた髪。涙と塵で汚れた頬。痛みと不安に震える吐息。それでもそれらを押し隠して、なおまっすぐに僕を見る黒い瞳‥‥。
一瞬で、陽子の全てが僕の中に焼き付いていく。
「ごめん。身体、辛いだろうけど、君に頼るしかない。俺達全員の為に」
「うん」
「君のことは必ず助ける。俺を‥‥」
「信じてる。何があっても」

「0079」
指揮官自らともう一人がやってきた。
「この子の翻訳機は片道だ。陽子の動作を見て理解してくれ。マリスは俺に任せろ」
「何をバカな。その身体で、戦う気か?」
「‥‥熱いんだ‥‥。身体が、熱くて‥‥負ける気がしない。陽子を頼む」
僕は陽子を指揮官に押しやり、飛び出した。
「マリス! こっちだ!」

隊員達を振り飛ばしていた黒い巨大アーマーがこちらに向き直る。
「俺を動けなくするんじゃなかったのか、マリス!」
「ス、タージャッジ!」
「来い! 俺が相手になってやる!」
「この生意気なビメイダーが!」

だっと飛び出した。黒い手が伸びてくる。それをかわして奴の足の間を駆け抜ける。
「クラッディング!」
一回転して起き上がった時にはもう、そこに落ちていたマリスのソードを拾い上げていた。ハッチが開けば、すぐ外まで来てるカノンが使える。それまではこいつを使わせてもらう!
まだこっちに背中が向いている。駆け上がって右肩のセンサー・アンテナを叩き切り、関節部にソードを突き入れる。電磁シールドの抵抗は激しいが、力負けしなけりゃいい話。左手が伸びてきたので離脱しようとした僕の足を、なんと右手が掴む。関節部の可動域が普通じゃない!

奴は僕の身体を床に叩きつけた。普段だったら破損による危険信号の奔流と物理的な衝撃で動きが止まったはずだ。だが危険信号がすでに無く、呆れるほどにクロックアップした今の僕は、体中に広がる衝撃と振動と反動の全てが予測できる。三回目に振り降ろされた時、奴の手の中で僕の身体が鉛直になった瞬間、アーマーを解除し、するりと奴の拳から抜け出した。遠心力も利用して奴の左肩に飛び乗り、左肩関節にソードを突き立てて離脱した。

「それ、貸してくれ!」
再びアーマーに身を包んだ僕は、唖然と上を見上げてた維持省の隊員の持っていたでかいマシンを奪った。ハッチの突破に使うマシンだ。飛び上がり、巨大なチェーンソーみたいな物騒なそれを巨人の頭部のセンサーとおぼしきあたりに叩きつけた。破損箇所から内部構造が見えてる。マシンの配線をぶち切って金属の刃に高電流が直接流れるようにした状態で、その傷口から突っ込んで飛び降りた。
「ス、タージャッジ、よく、も!」
巨人がマシンをはね飛ばす。でもまだ手を振り回してるってことは、ダメージにはなったんだろう。

「マゼラン!」
高い声が通る。見ると床の一部がゆっくりと下がっていく。
「陽子!」
やってくれた! なんて子だ。なんて‥‥!

ああ、でも。
こうやって、何度助けられた? ラバードの基地でも、ポーチャーコンビの船でも‥‥。
小さくて弱いはずの少女の底知れぬ強さ。その強さが、ただ僕のために発揮されてることを、僕は歓喜と誇りを持って受け入れていた。心の中にある思いをただ素直に認めれば良かったんだ。ビメイダーとか人とか、生まれた星が異なるとかずっと一緒にはいられないとかそんなこと、この思いの大きさに比べたら、有効桁数未満の誤差なのだから‥‥。

「鍵を、解いたのか!? どうやって!」
「お前のロケットだ。陽子が覚えてた」
「そんなはず、ない! 見せたのはほんのちょっとだ。電送のすぐ、あとで、弱って、怯えきってた!」
「お前がそれを見せたから、陽子は平静に戻れたんだ。お前の家族を見て、お前の、家族を思う心に共感した。お前にとってそのロケットがどれだけ大事な物なのかも‥‥。お前の思いを心に刻んだ。だから思い出せたんだ」
「でもお姉ちゃんは、貴様を選んだじゃないか! ボク、より、貴様を!」

「なら言ってみろ、お前自身が、どう陽子を愛したか!」
僕は巨大アーマーの胸部、操縦席とおぼしきあたりにソードを突きつける。
「愛するから、愛されるんだろう!? 憎めば、憎まれていく! お前が陽子の命を奪い、俺がお前を憎んだとして‥‥それでお前は幸せなのか!? 本当にそうなのか!? そうやって憎しみの連鎖を作って、それが何になるってんだ!」

「だ・ま・れ!」
巨大な両手が僕を追い回す。
「IDカノン!」
開き始めたハッチの隙間から、白い相棒が舞い込んできた。翼で巨人の腕を薙ぐが、わずかな傷をつけるばかり。でもジャンブルが手に入った。腰を支点にロッドを回し、鉄球を腕にぶち当てる。奴の足下に着地して今度は下脚を鉄球で殴りつけた。巨体がぐらりと傾いで、奥の方に倒れ込んだ。


〈ハッチは開いた! まずこの子を救助しろ、0079!〉
指揮官の声に向き直ると、ぐったりと座り込んだ陽子を指揮官が支えていた。
〈そうだ、お前は行け!〉
〈あとは我々がやる!〉
回線に他の声が重なった。その音声データが温もりと共に僕の中に累積していく。僕は陽子のいる場所に駆け戻った。

「陽子!」
疲れ切った表情の陽子は肩で息をしながらそれでもなんとか笑みを浮かべた。
「開いたよ、マゼラン‥‥」
「ありがとう。もういい、もう十分だ。ゲイザーに行くぞ」

陽子を抱いて、ハッチから飛び出ようとしたとき、何かが床を滑ってきてその場の全員を壁に叩きつけた。マリスが、ドアをふさぐためにつぶした艦載機の翼を床すれすれに振り回したようだった。体勢を整えようとしたが、あり得ないスピードで飛び込んできたマリスの左掌が僕と陽子を壁に押しつけた。

「きゃああっ!」
陽子の足が僕のアーマーと壁の間に強く挟まれた。なんとか肘を突っ張って空間を保つ。だが。
「つ、ぶ、れろ! じぶ、んの身体で、その子をめちゃめちゃにしちまえ!」
背中から押し寄せる強大でひっきりなしの圧力から抜け出せない。そのうち奴の掌が強烈な熱を帯び始めた。アーマー全体が熱伝導で熱せられている。陽子の息がどんどん荒くなり、額にびっしりと汗が浮き始める。
「陽子っ」
「あ‥‥。あ‥‥つい‥‥。たす‥‥けて‥‥」
熱電素子をフル稼働させても表面温度が下げられない。もう、これ以上は‥‥!

「クラッド・オフ!」
渾身の力で壁を押し返しながらアーマーを解除し、陽子を抱き直そうとした刹那、僕の身体はばらけた分子の上から鷲づかみにされて放り出された。身を翻して向き直った僕の目に、巨人の右手に掴み取られて、かくりと意識の無い陽子の姿が映った。

「‥‥もらった。もらったよ、ス、タージャッジ」
「やめろ、マリス! やめろ!!」
「アーマー着たら、今すぐ、つ、ぶ、す、よ!」
「やめて‥‥くれ‥‥っ 陽子っ!」
高クロックが今度はマイナスに作用した。大量の予測シミュレーションの中に恐怖をかき立てる映像が並んだからだ。そこに鋭い叱責が聞こえてきた。
〈落ち着けっ! 0079! お前が取り乱してどうする! チャンスは必ず作ってやる!〉

「ねえ、起きて。起きてよ、お姉ちゃん」
マリスは陽子の意識を取り戻させようと、その身体を揺すっている。だが陽子は目覚めない。だらんと下がった足‥‥白いソックスが真っ赤に染まっていた。
「ねえ、もう死んじゃったの? それじゃ、困る、よ、お姉ちゃん!」

〈残りの艦載機の機銃を使う。チェックは終わった〉
〈えっ?〉
格納庫にあったのは三台。一台はマリスのアーマーになり、もう一台は退路を閉ざすために潰された。残りの一台、本当に使えるのか?
〈こいつもジーナス製だ。かなりの高エネルギー弾だぞ。必ず守れ、お前の大切な者を!〉

艦載機の機銃が火を噴いた。
「クラッディング!」
火線の圧力に押されるように飛んだ僕が巨人の右手にとりつく。連続して射出されたエネルギー弾が巨人の右肩を吹き飛ばし、右脇に沿って、黒いボディを削った。
僕は緩んだ掌から陽子の身体を奪い取り、ハッチから宙に飛び出した。

「行かせるかぁああっ!」
マリスの巨大アーマーが脚部を閉じ、小型機に戻りながらハッチを飛び出してきた。
「IDスライサー!」
下面から舞い上がったスライサーで右脇を狙ったが叩き落とされる。この巨体ではスライサーもスズメ同然だ。即座にカプセルを急降下させ、戦闘機の翼の付け根にドシンとぶち当てる。そのまま下に沈ませた。稼げる時間は少しだろう。でもそれで十分だ。

フリッターはすぐやってきた。後部の"繭"を開け、ジェルクッションの上に陽子の身体を横たえる。
「すぐ戻るから。少しだけ待ってて」
意識の無い陽子を"繭"に封じ込めれば、フリッターは一目散にゲイザーへ向かって帰って行った。

飛び去るフリッターを背に、向き直った僕の前で、巨体が立ち姿勢になった。
「お前達は、ボク、のものだっ! ボク、のものなのにっ!」
右側が無残に削れた状態で、黒い巨体はただがむしゃらに残った左手を伸ばし、向かってくる。

マリス。
子供だったお前が、こうして復讐の道を歩み出すまでの長い時間のどこかで、お前の手を取り、もっと優しい方向を見せてくれる存在がいたら良かったのに。僕が陽子と出会えたように。でも今それを言っても仕方が無い。
秩序維持省のチームは、陽子を助けるために、一歩間違えばマリスを死なせてしまうかもしれない危険な賭に出てくれた。だからこそ僕はこのターゲットを逮捕しなければならない。命を奪うことなく、そして自滅させることなく、だ。

生体がどの部分に入っているかはもうわかっていた。今の僕の処理能力ならいけるはずだ。シールド用のリングを用意して巨体に突っ込み、右脇腰部にとりつく。二十メートルの艦載機。乗組員を救出。
「ヴァニッシュ」

巨人の上部に照射されたエネルギー線が、外殻の原子群を揺さぶり高いエネルギー準位に遷移させる。電子が核の呪縛を断ち切って飛び出し始め、それが見る間に広がって行く。もろもろと崩れていく巨体の中で手を伸ばし、老人と胎児のキメラのような白い身体を捕まえ、胸の中に引き込む。
「クラッド・シールド!」
解除されたマントと上半身のアーマーが、僕らの回りにエネルギーのシールド・トンネルを作る。マリスを熱からかばうように抱き込みながら、僕は脚部アーマーの推進力を最大にしてそのトンネルをくぐり抜けた。

「0079!」
反重力ディスクでやってきたのは維持省の指揮官と隊員達。僕は腕の中で呆然自失としているマリスを差し出した。
指揮官は透明になっているゴーグルの中で、四つの目を大きく見開き、すぐに部下に合図をした。マリスが拘束用のネットで包まれて連れて行かれると、彼は僕にまっすぐに正対して、きれいに伸ばした掌を上向きに右手を出した。
「よくも、まあ‥‥。よく、ターゲットを確保してくれた。ありがとう、0079」
僕より二回りも大きなその掌に自分の手を重ねる。指をひっかけると今度は彼の手が僕の掌の上に乗るように返した。
「こちらこそ、陽子を助けてくれて感謝してる」
「その状態で船まで行けるか、0079?」
「ああ」
僕は上を向いた。グランゲイザーの巨体はもう見えるところまで降りてきていた。
「あの娘の無事を祈ってるぞ」
「ありがとう」
指揮官は僕の両肩を掴むと、ディスクの出力をぐんと上げ、その勢いで僕を上に投げ上げた。

脚部アーマーはゲイザーまで出力を保ってくれたが、格納庫に入ると同時に消滅した。着艦していたフリッターから意識の無い陽子の身体を引きずりだす。その身体が重い。信じられない。いつも羽根のようだったのに。仕方無く、彼女の身体を荷物のように肩に担ぎ上げて運んだ。リプレースモードのエネルギーが尽きかけてるんだろう。でもあともう少し。

コントロールルームとつながった区画に治療や補修のための機材が並んでる。陽子がマリスに傷つけられていることや、陽子が一日二日をここで過ごす羽目になることも想定していた。だから重力、空調は調整済み。水もあるし、キャンプの荷物を全部持ってきてるから、着替えや食物も大丈夫だろう。バスやベッドの使い方も、陽子宛の説明書きを残してある。

メディカルマシンのそばで陽子を下ろし、陽子の衣服をなんとか脱がせた。人形のように白く滑らかな身体。だが挟まれた足の状態は酷い。背中の火傷のシートもはがす。出血は止まっているがこの状態であれだけ動き回らせてしまったことに胸が痛む。陽子の受けた痛みも苦しみも消えないけれど、せめて身体の傷だけはきれいに治したい。

マシンによじ登り、一糸まとわぬ陽子を台に横たえた。髪飾りを取ってから髪を整えて、もう一度だけその唇に口づける。次に君が目覚めるとき、もう僕はいない。僕がリプレースモードになってる今、ドックではすでに製造が始まってるはずだ。僕と同じ顔、同じ身体を持ったスタージャッジ。彼は僕じゃない。僕じゃないけど陽子のことは彼に頼むしかない。彼が僕のボイス・メモで陽子と僕の関係を理解して、それでも本部の命令通りに陽子の記憶を消すならば、それはそれで仕方の無いことだ。そして、もしも彼が、陽子に心惹かれて、僕と同じ道を歩むなら‥‥僕はそれを歓迎する。

ごめんよ、陽子。辛い目に遭わせて‥‥。
でも、僕は、君と会えてよかった。
君に心から感謝してる。

君から教えてもらった、一番大切な感情。
‥‥君を、愛してる。

陽子の胸や頭に小さな極をとりつけ、口元を半透膜で覆う。スイッチをいれると台が下がり、陽子は細胞活性溶液の中に沈んだ。これでいい。治療が終われば陽子を自動的に引き上げてくれる。
メディカルマシンから降りようとしてステップを踏み外し、床に尻餅をついた。パネルから呼び出しの信号とヴォイスの声が響いているのに気づいたけど、もうそこまで行けない。

陽子から脱がせた上着のポケットの中身をぶちまけ、通信機を見つけてスイッチを入れた。
〈0079! 無事なのですか!? 0024があと一ローテーション強で到着します〉
ああよかった。0024のほうが陽子の混乱が少ないだろうし、彼ならきっとうまくやってくれる。

髪飾りを床に置くと、腹部の傷に触れて体液で指をぬらした。髪飾りの脇、陽子に宛てた文字を書く。一人で目覚めた陽子が戸惑わないように。一日半で僕の先輩が来る。彼の言うことを聞いて‥‥。

そのうちにヴォイスの声がわんわんと押し寄せてきた。
〈0079! 聞こえてるのですか! 返事をしてください!〉
通信機を口元まで上げる。
「ゲイザーで、陽子が‥‥治療中です。‥‥0024に‥‥伝えて‥‥」

〈もうすぐエネルギーボードも到着します! 消費エネルギーを抑えて待機しなさい!〉
声が、だんだんとただの音になっていく。
「どうか陽子を、地表に送ってやって‥‥。あの子は‥‥‥‥」
〈0079! 貴方の記憶を保たなければ‥‥!〉
「陽子を‥‥‥」
腕の力がかくんと抜けた。

‥‥だめだよ、もっとちゃんと頼まなきゃ‥‥。通信機、どこにいった‥‥?

‥‥‥あれ? なんか、いろんなものが、見える‥‥。

記憶の、再構成‥‥? ‥‥ならば、せめて‥‥
‥‥最期に、陽子の笑顔を‥‥。

‥‥僕の‥‥一番大切な‥‥

‥‥‥‥陽‥‥‥‥‥‥‥













頬にしずくが落ちた。

唇になにかが触れていた。
泣きたいほどに優しく、柔らかく‥‥‥。
触れあった箇所から、温かさが流れ込んできていた。

あごのあたりにふわふわと何かさわってて、ちょっとくすぐったい。
かすかな嗚咽の声。僕の胸にすがる小さな手。
指先に、かたい床の感触。

ぽかり、と目をあけた。涙で一杯の黒い瞳があった。泣きはらした目が見開かれ、淡いピンク色の唇が何か言おうとわななき始める。

‥‥陽子‥‥?
‥‥ここ、どこだ‥‥

「マゼラン!」
いきなり陽子ががばっと抱きついてきて泣きじゃくった。僕は面食らったまま彼女を抱き、あやすように背中をそっと撫でながら、上半身を起こした。

あたりを見回し、見慣れたゲイザーの中にいるとわかった。マリスのことや、傷ついた陽子をメディカルマシンに入れたことも思い出した。でも‥‥なぜ僕の記憶、ちゃんとあるんだ? もしかしてこれは、消える寸前の夢‥‥?

「良かった‥‥マゼラン‥‥起きてくれて、良かった‥‥。死んじゃうかと思ったよ‥‥」
陽子がしゃくり上げながら切れ切れにそう言う。触れている陽子の背中は滑らかで火傷のあとは感じられない。治療はちゃんと終わったってことか? じゃあ、僕は‥‥?

泣き止まない少女の両腕に手を置いて、その身体を少し離し、陽子の顔を見つめた。
「陽子、なんだな?」
「マゼラン、マゼラン!」
「背中は? 足は? ちゃんと治った? どこも痛くない?」
「あ‥‥」
陽子は右肩越しに後ろを見やり、次に身を起こして自分の足を見ようとしたところであっと目を見開き、両手で自分の胸を覆った。僕は周りを見回して自分の上着に手を伸ばし、何も着ていない陽子にかけてやる。陽子はだぶだぶの上着を巻き付けるように持つと、頬を真っ赤に染めたまま、小さな声で言った。
「‥‥だいじょうぶ‥‥みたい。どこも痛くないよ‥‥」

「頼む。何があったか、説明してくれないか」
「気づいたらあの上にいたの。降りてみたらマゼランがここで倒れてて、ぜんぜん動かなくて! そしたら、エネルギーボードを送ったって、バレッタがいきなり言ったの。で、チョコレートがあそこに届いて‥‥」
陽子があちこちを指さしながら話し始める。
「チョコはなんとかあのケースから取り出せたけど、マゼラン、どうしても食べてくれなくて、仕方なくて、あたしまた食べちゃったの、チョコレート、それで‥‥」

そばに、シールドシートが破かれて角が割取られたエネルギーボードが転がっていた。僕は自分の手を見て、ゲイザーの中を再度見回し、そして陽子を見つめた。
「陽子、君が僕を‥‥ ‥‥あ、いっ‥つっ‥‥!」
「マゼラン! だいじょうぶっ!?」
「だい‥‥じょぶ‥‥。あはは‥‥。なんて、こった‥‥」
僕はいきなり襲ってきた脇腹と左腕の激痛に顔をしかめつつ、思わず苦笑してた。

すべてがつながっている。僕は"生きて"いた。

僕は陽子の手を引き寄せて、その細い身体を抱きしめた。
「マゼラン。先に怪我を治さないと。ねえ!」
「いいんだ。もう大丈夫だから。もう少し、こうしていたいんだ」
左手が僕の背中に、右手が髪の中に入って、陽子が僕を抱きしめるのを感じた。陽子の細い肩から背中の曲線に手を滑らせ、もう一度無傷の肌を確認する。ふれあった頬を少し離し、彼女の額にかかる柔らかい栗色の巻き毛をかきあげた。僕を見つめた黒い瞳がゆっくりと閉じる。そのつややかな唇に、僕はそっと口づけた。

陽子の身体から最後のHCE10-9が僕に移動したあと、今度は甘く心地良い温もりが流れ込んできた。任務でキスをしなくちゃと大慌てしてた時を、はるか昔のことのように思い出す。僕は今、ただこの少女を愛する存在として、陽子の想いを全身で受け止めていた。

   (おしまい)
2013/2/11

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