スタージャッジ 第1話
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観覧車のカプセルを出て鉄の階段を駆け降りた陽子は、僕の手を引っ張って次のアトラクションに向かう。シートに座ってぐるぐる振り回されたり、ロープや材木でできた障害物をひたすら乗り越えたり(彼女はこういうのがえらくうまかった)、はたまた大きな柔らかいボールに埋もれつつ、妙なトンネルを走り抜けたり。

陽子は本当に明るい子だった。列に並んでいる時すら何か楽しみを見つけた。それは雲や敷石の形だったり、木や草やそこにいる小さな虫だったりするのだ。たった一時間かそこらの間に僕は十年分も笑った気がする。陽子はすっかり打ち解けて、僕にピンクの上着を預けたまま、三分袖のシャツから伸びる白い腕を僕の腕に絡ませ、僕に体重を預けるようにして歩いてる。園内にいる他の"恋人達"と今の僕らで、少なくとも見た目には差異が無いと思う。

「楽しいね、マゼラン」
「ほんとだね。みんな、おもちゃみたいな乗り物なのに‥‥」
「マゼラン、遊園地ってあんまり来たこと、なかったのね」
「うん、そうだね。ローラーコースターには何度か乗ったことあるけど、あとは見るだけだったんだ。そうか。君は遊園地はしょっちゅう来てるんだろうね。お父さんの仕事がそうなら」
「うん。もう飽きるくらい、いっぱい」
「飽きるくらい? やっぱりいつかは飽きるの?」

陽子はさもおかしそうにくすくす笑った。
「あのね、マゼラン。遊園地が楽しいのは乗り物があるからじゃないのよ」
「え?」
「一緒に居て楽しくなる人と一緒だから楽しいのよ!」
「‥‥はは‥‥そうか‥‥。じゃあ‥‥」

日頃使ったことのない思考アルゴリズムをフル回転させて必死で言葉を探してる僕の腕を、陽子ががしっと引き留めた。
「アイスクリーム屋さんよ!」
あ、はい。たしかにアイスクリームだかジュースだかのスタンドが‥‥。
「マゼラン、何が好き!?」
「‥‥え‥‥、あ、バニラなら‥‥」

あーあ。走っていっちゃった‥‥。

まずいなぁ。やっぱり観覧車でキスすべきだったんだ。ほかの乗り物だととてもそんなシチュエーションにならないや。うーん、難しい任務だなぁ。‥‥でもまあ、いやじゃ無い。むしろ‥‥って、だめだろ! もっと焦れよ、0079!

僕はちょっとだけ本部に状況を報告しようと通信機を出した。見た目はほとんど携帯電話だから怪しまれることはない。
「こちら0079」
〈エネルギーは回収できましたか?〉
「いや、まだです」
〈少しもですか? 何やってるんです。それではアーマーも着用できないし、そのままだって十五サトゥルぐらいしか持たないでしょ〉
「言われなくたって僕が一番わかってますよ! ところで例の芽は‥‥」
〈カミオ星の鉱植物のようです。ただ遺伝子操作されているので詳細はまだ不明です〉
「カミオ星。たしか住民は珪素系でしたよね‥‥」

「見〜つ〜け〜た〜ぞ〜」
「うわっ」
いきなり肩を捕まれて慌てて通信を切る。乱暴に向きを変えさせられたら、目の前にあの人が居た。
「あ‥‥、‥‥こ、こんにちは‥‥」
「貴様、陽子をどこかに連れて行こうと企んでるんだろーが、そうはいかんぞ!」
「そんなこと企んでませんって! だいたいほら、どこも行ってないでしょ」
「当たり前だ、娘が勝手にどこかに行ったりするものか!」
「わかってんなら、いーじゃないですか!」
「スタンドで張っていれば、アイスクリーム好きのあの子は必ず来ると思っていたのだ! だから園内のスタンド三カ所をぐるぐると‥‥」

「パパ。もう終わったの?」
見ると陽子が山盛りのアイスクリームを載せた大きなコーンを二つ持って立っていた。
「おお、陽子! 大丈夫だったか!」
「何が? とっても楽しかったよ。パパの方は? またお仕事だったんでしょ?」
「え‥‥あ、ああ、まあな。もう、終わったよ」
「じゃ、一緒に次のアトラクにいこ! 船のあったよね」
「おお、バイキング・アドベンチャーだな、よしよし、それならあっちだ」
うーん、興味深い。「この男に巻かれたんだ!」って言い出すと思ってたのに、ほんとに仕事だったみたいな顔してる。自然人ってほんと読めないな。なんなんだろう、こういうの。

ジョーダン氏が陽子の肩に手を回したが、陽子はそれをすり抜けるようにして僕に近づき、バニラアイスクリームのコーンを差し出した。
「はい、マゼラン」
「あ、ありが‥‥」
礼を言って受け取ろうとした時だ。陽子の背景の上空にぼやっと何かが浮かんでる気がした。雲か‥‥? いや、この一様な見え方は‥‥電磁波透過コーティングをした飛行物体‥‥。スブールの輸送艇じゃないか! なんでこんな真っ昼間に!?

外から地球圏内に入ってくる飛行物についてはグランゲイザーのエマージェンシーコールがあるんだけど、ラバードの船は既に圏内に入ってたから‥‥。いや、本当だったら今朝の件、奴らが圏外に退去するまで注意してなきゃいけなかったんだ。でもこんなことが起こって、それどころじゃ無くて‥‥。それに、ラバードだから大丈夫だろうって、油断してたのもある。

輸送艇から遠隔ピットのようなものが大量にばらまかれると、空に薄い黒い雲のようなものがかかる。コヒーレント制御をかけた紫外線反射粒子だ。波長の長い光だけが射し込むようになり、いきなり夕焼けになったようにそこら中が赤みを帯びた。これで不思議がらない人間は居ないだろう。

園内中がざわつき始める中でジョーダン氏はおちついたものだった。
「新手の参加型アトラクションか?」
「違いますよ! あいつらは‥‥」
「わかったわ。ウミウシでしょ?」
「なんで!」
「ほら見て、あの旗のとこ、なんかくっついてる」
見るとポールに雌のフラーメが数匹はりついてる!

「陽子。ウミウシは海の生物だし、あんなに大きくないだろう?」
「うん‥‥。でもなんか似てない?」
あああっっもうっ この親子はいったいっっ!!!! 思わず単刀直入に真実を叫んでしまった。
「宇宙人なんですよっっ! あれはっっ!」
「本当か?」
「本当です!!」
「それなら避難の放送を流さないと‥‥」

「スタージャッジ、見つけた」
「やっぱりいたな〜」
広場の真ん中、三匹のフラーメが頭に大きなリボンをつけた巨大なグリーンの犬のような生物をつれて降りてきた。まずいぞ。コイツはメアロタンギ。ラバードのペットだけどかなり凶暴。赤みを帯びた六つ足の異形は恐ろしげだ。広場にいた人達が悲鳴を上げて逃げ始めた。

持ってた陽子の上着をジョーダン氏に押しつけて言った。
「二人とも逃げて―――」
「ウミウシが鳴いてる! もしかして、しゃべってるのっ?」
宇宙標準語のひとつだから地球人にはわからない‥‥っていうか、それ以前のことで驚いてくれ、頼むから!

「スタージャッジ、通信の電波でいるのわかったぞ。調査のジャマはさせないからな〜」
「調査だと!? なんの調査だ!」
「言わない言わない」
「言ったらまたラバード様に怒られる」
「でも今日はメアロタンギ借りてきたからな。覚悟しろ」
「いけー、メアロタンギ!」

六本の足が、ぞろり、と波打つように動いた。
「下がれ! 早く逃げろ!」
二人を後ろに押しやって飛び出した。メアロタンギはトランポリンでも踏んだように高く飛び上がる。僕はぐんと距離を詰めると、まだ宙にいる相手の中足を掴み、背中から地面に叩きつけた。掴み換えた前足ごと仰向けになったやつの顎を押さえ込む。だが中足と後ろ足ががつんと背中に入ってきて絡みつき、ものすごい力で締め付けてきた。

「マゼラン!」
「こりゃ、陽子!」
「ばか! 早く、逃げ‥‥」
すぐそばまで駆け寄ってきた陽子が、追っかけてきた父親に捕まった。陽子の手にはまだアイスクリームが‥‥
「そうだ、クリーム! それ、コイツに食わせて!」
「は、はい」

のど元を押さえられてがばっと開いているワニみたいな口に、陽子はこわごわとアイスを放り込んだ。ごくんとそれを飲み込んだメアロタンギが押し黙る。
「もっといるの?」
「頼む!」
「どの味が‥‥」
「なんでもいい! あっ コーンはいらないよ!」
「パパ、アイスアイスアイス!」
「なんだなんなんだ!」
陽子が父親を押しやるようにぱたぱた駆け去る。メアロタンギがまたぎゃーぎゃー言い始めたが、中足と後足が弱まってる。みしみしいってたボディが少しラクになった。効いてるな。もっと食わせりゃ大丈夫だろ。

「おまたせ!」
陽子が大きめの四角い容器をかかえて走って来た。おやじさんの方は二つも。ケースごと外してきたらしい。
「そこらに置いて、下がって!」
二人は地面にアイスクリームのボックスを置く。匂いで気づいたのかメアロタンギが暴れ始めた。ジョーダン氏が陽子を引っ張るように離れたのを見計らい、力をゆるめる。メアロタンギが跳ね起きるより早く、僕は二人の前に戻ってた。

思った通り、メアロタンギはアイスクリームに向かって突進し、手近の容器に鼻先を突っ込んだ。長い舌で容器からアイスの塊を巻き取り、頬を膨らませてがぶがぶと食べている。次の容器に移る時は足どりがだいぶおぼつかなくなっていた。

「ど、どーなっとるんだ?」
「あいつ、甘いモノが大好物なんですが、乳脂肪喰うと酔っぱらう体質なんです」
「なるほど。しかしどーしてそんなこと知っとる。さっきもウミウシ語を話してたな。貴様、何者だ?」
あ、やば‥‥。あんまりうまくいったもんで、つい正直に話しちゃった。
「‥‥そ、それは‥‥」

ウミウシ‥‥じゃない、フラーメ達はメアロタンギの尻尾を必死で引っ張りながら大騒ぎ。
「こら、食うな〜!」
「知らない人から食い物もらうな〜」
「わー、メアロタンギ〜〜〜!!!」
六本足の異形は三つ目の容器を抱え込み、すでに幸せそうに眠りこけていた。

「それだけ食ったら当分起きないだろ。さっさと連れていけ!」
「くそー」
「覚えてろ、スタージャッジ!」
「ラバード様に言いつけてやる!」
フラーメ達は僕に向かって両手を振り上げながらわーわー言い、メアロタンギを担ぎ上げて、ぞわぞわと逃げていった。

「皆様、至急当園を退去して下さい! 正体不明のへんな一団が遊園地内に侵入しています! 早く逃げて‥‥あっ まず落ち着いてっ 係員の指示に従って、落ち着いて早く逃げてください!」
避難の放送が流れ始めた。怒声や喚き声が大きくなり始め、園内がパニックの様相を呈してきた。

フラーメは見える範囲だけでも十五体はいる。となれば園内全体でその倍近く降りてきてるかもしれない。とはいえ彼らが人にちょっかいを出している様子はない。アトラクションをしげしげと眺めたり、映像を撮影したりしてるだけだ。ラバードの奴、いったい何を考えてるんだ? 今まで昼間に、それもこんな地球人が多く居る場所に降りてきたことなんて無いのに。

遠くにサイレンが聞こえ始めた。地球の警察が動き出したんだ。ラバードのことだから地球人に危害は加えないだろうが、逆にフラーメが人間に捕まったらやっかいだぞ。だからって警察が到着する前にこの数のフラーメをなんとかする方法なんて無いし‥‥。

「奴ら、本当に地球のものじゃないんだな?」
ジョーダン氏がものすごく怖い顔で僕を睨んでる。
「お前、何者だ? なぜ宇宙生物と話せる? アイスクリームで酔うなんて、なんで知ってる? ‥‥まさかお前も宇宙人なのか?」
「‥‥あ‥‥。その‥‥。ええと‥‥ですね‥‥」
「ええい! 男ならはっきりしろ!」


「ねえ、あれ‥‥」
その声に振り返ると、陽子が道に向かって走り出していた。なんだ? どうなってんだ? とにかく追いかける。モバイルも持ってないのに、こんな状況ではぐれたら厄介だ。でも陽子は僕の懸念なんかなんのその、出口に向かって走る人の流れを小気味のよいほどに器用に突っ切り、生け垣の下に屈み込んだ。
「暴れないで。今、取ってあげるから」
陽子の声に混じって、キャンキャンという声が聞こえる。犬だ。覗いてみると小さな犬が引き綱と首輪を枝に絡ませて動けなくなっている。僕は首輪に通っていた枝を折り、絡まった引き綱をナイフで切ってやった。

陽子が犬を抱き上げたところで、ジョーダン氏もすぐ追いついてきた。陽子はにっこりと笑って犬を父親に見せた。
「飛び込んだきり出てこなくて、声が聞こえて、変だなって思ったの」
「まったく、お前は、こんな時まで‥‥」
ジョーダン氏の荒い息に、苦笑と溜息が入り交じる。僕も似た表情になってたかもしれない。あの状況で、この子はたまたま見かけた子犬の状況を的確に把握して、ほとんど反射的に行動したってわけだ。

自分にはなんのメリットも無いのに、知らない他者を助ける。地球人にはこういうところがあるのを僕は過去に何度か見ている。でも自分の欲のために他人の物や命を奪う者も多い。まあ地球人に限ったことじゃない。程度の差こそあれ、こういったことは自然人の特性だと学習してる。

陽子の髪は乱れて、木の葉がついていた。取ってやろうと手を伸ばしたら、陽子が僕を見上げた。
「マゼラン、ウミウシ達と話せるんだよね。今日はもう帰ってって、園内放送でお願いできない? このままじゃ、こんなふうに迷子になる子や、転んでケガする人とか出ちゃうよ。なんとかしなきゃ」
「園内放送って、あの放送で‥‥?」
驚いた。大々的にフラーメに呼びかけるなんて、考えてもなかった。でもこの数を穏やかになんとかしようとするなら、それが一番いいかもしれない。ただ‥‥。
ちょっとためらっていたらジョーダン氏が怒ったように言った。
「なんだ、不服そうだな? 貴様、娘の素晴らしいアイデアに文句をつける気か?」
「いえ、すごくいい案だと思います。ただ‥‥その。僕が彼らと話せることを人に知られるのはまずくて、どうやって機器を借りようかと‥‥。本当は貴方達にも‥‥‥」

ジョーダン氏が見開いた目でまっすぐに僕を見つめ、静かに言った。
「‥‥一つだけ答えろ。お前は何者だ」
青い瞳。光彩の模様も相まって、宇宙から見た地球みたいだ。瞳の色は全く違うのに、人の見つめ方は陽子とどこか似ていた。正直であるように誘導されそうな不思議な感じ。ビメイダーに催眠術をかける能力がある‥‥はずはないのだけど。
僕は陽子に視線を移した。陽子の表情には遊んでいた時にずっと浮かんでた"好奇心"のサインが皆無だった。彼女はただ心配していた。メアロタンギが現れたときに殆ど怖がっていなかったことから類推すれば、その"心配"は自分の身の安全のためじゃない。僕は大きく息を吐いた。

「僕は不当な侵略を企む連中を地球から追い出すため、宇宙連合から派遣されている者です。連合はまずは地球人達が己の知恵と力でファーストコンタクトを迎えることを願っている。だから僕の正体を地球人に知られることは許可されていません。あのウミウシ達は悪意のある連中では無いのですが、彼らの技術が一部の国だけに渡れば世界情勢的に良くないことになりかねない。とにかく僕としては穏便に奴らを追い出したいんです」
担当惑星の住人にこんな話をするなんて、電子頭脳のどこかが故障してると思われても仕方が無い。でも‥‥なぜだかその時、そうすべきだと思ったんだ。

しばし無言だったジョーダン氏は、子犬を抱える娘の腕にピンクの上着をかけた。
「わかった。ならば私についてこい」
「え?」
「あちこちのチケット売り場にも予備の放送設備は入っとる。小さなインフォメーションなら係員が避難してる場所もあるだろう。私が使い方を教えてやる。さっさとついてこい」
「僕を‥‥信じるんですか?」
「信じてるわけじゃない。だが、お前の言ったことは事実をうまく説明できる。今のところお前は悪人ではないように見えているし、ならばその程度の手伝いをしてやってもいい。これ以上悪い結果にはならんだろうし、うまくいけばラッキーだ」
地球人ってこんなに冷静で、明確だったっけ? 驚い‥‥いや、たぶんこれは、賞賛って感情だ。
「ありがとう。助かります」

ずっと心配そうな顔で僕らを見比べていた陽子が少し笑った。
「じゃああたしは、この子を係の人にお願いしてから車のとこで待ってるね。あたし、パパより走るの遅いから。こんなことなら先にモバイル買っとくんだったわ」
そう言ってもらって助かったのは事実。でも陽子の表情は少し堅い。そりゃそうだ。この子にとっては勝手の分からない国なんだ。僕は手帳を出してアパートの住所をローマ字と日本語で書くと、その頁をやぶいて車のキーと一緒に陽子に渡した。
「車の位置はB―34。乗ってたほうが安全だと思う。みんな不安で他人にお構いなしになってるかもしれないから、とにかく気をつけて。最悪、タクシーでも帰れるようにアパートの住所を渡しておくけど、これは暗くなっても僕らと会えないとか、本当にいざって時のため。とにかく基本は僕を待ってるんだ。いいね?」
陽子はまん丸な目で、僕の言う一つ一つにいちいち頷いてる。

僕はにっこり笑ってみせた。とにかくこの子を安心させたかった。陽子の頬に手を触れて言った。
「大丈夫だ。すぐ戻るから」
「うん」

いきなり頭を思いっきりはたかれた。
「くおら〜〜! 貴様! 娘に触るな! 誰のせいでこんなことになったと思っとる!」
「ぼ‥‥僕のせいじゃない‥‥いや、僕だけのせいじゃないですよ!」
さっきの冷静さはいったいどこへ? 明確は明確だけど!
「さっさとしろ! こっちだ!」
「はい! じゃ、陽子、気をつけて!」
陽子はちょっと無理した笑顔のまま、おどけた風に犬の右前足を振って僕らを見送ってくれた。

 * * *

ジョーダン氏は園内のルートに呆れるほど詳しかった。案内板を何度か見ればすぐ覚えてしまうのだそうだ。どう見ても道じゃない建物の裏やら、時にはフェンスを乗り越えて僕らは走った。
奴らの輸送艇が見える(僕だけだけど)ところで、空っぽのインフォメーションを見つけた。ありがたいことにドアの鍵も開いたままだ。中に入るとジョーダン氏がスイッチをパチパチと切り替え、パネルから伸びているマイクを僕に示した。
「いいぞ。これで使える」
「ありがとう」

僕はマイクに向かって標準語で怒鳴った。
「こちらスタージャッジ。スブール星のラバードとフラーメ達に告ぐ。君達は未接触惑星保護法及び星間交易法第二十三条に違反している。二十標準クロノス以内に全員退去せよ。これは勧告にあたる。指示に従わない場合、各個体の生体波が第三級の星間指名手配のリストに記録される。指揮命令系統の末端にあたる者も同様である。全員速やかに船に戻り帰還せよ」

どうなんだろう。うまくフラーメ達に聞こえたかな。いつの間にやらジョーダン氏が外に出ていて、窓ごしに人差し指を一本立ててきた。さっきの台詞をもう一度繰り返すと、今度は親指と人差し指で作った丸のサインが送られてくる。僕も外に出てみた。
「いったいなんと言ったんだ?」
「十五分以内に撤退しろ。さもないと指名手配リストに載せるぞって」

アトラクションに貼り付いているフラーメ達が降り始めた。輸送艇からトレーラービームが伸びてくる。ビームの中をフラーメ達がぞろぞろと上がっていくのがわかった。ジョーダン氏がどんと僕の背中を叩き、にやりと笑った。
「おい、うまくいったみたいだぞ」
「ああ、よかったですよ。素直で」

「撤退はしてやるが、お前も言うとおりにしてもらおうか、スタージャッジ」
えらくクリアな標準語にぎょっとして振り返った。
「ラバード!!」
オレンジと黄褐色の派手なボディスーツを身につけた姿は地球女性とそっくり。身長は2mを越すが、モデル顔負けの見事なプロポーションだ。額にはマーキーズにカットされたグリーンの輝石。つり上がり気味の目は濃いアイラインのおかげでぎょろりと大きく見える。鮮やかな紅に作られた唇が人を小馬鹿にしたような弧を描いている。そしていつもはきつく結い上がっている金とオレンジのメッシュの髪が、今日はざらりと下りていた。

「こんなところにわらわら出てきて、何を企んでるんだ、ラバード!」
「こっちの仕事はお前のように単純じゃないんだよ。毎度毎度ジャマしおって。だがこれで終わりにしてもらうぞ」
ラバードがぱちんと指を弾くとバズーカ砲のようなものを持ったフラーメが数体現れた。ビメイダー捕獲用の電磁ネットと‥‥クレイ弾か! 僕はジョーダン氏を庇いながら一歩下がる。これは逃げないとまずいことになりそうだ。

「おっと動かないでもらおう。でないと助手を破壊する」
「助手? 僕に助手なんて居ないぞ?」
戸惑った僕を見て、ラバードはふふんとせせら笑った。くいっと小首をかしげると、ラバードの毛先で巻かれた塊が前に引き出された。上の部分がぱらりとほどける。そこからこぼれた明るい栗色が目につき刺さるような気がした。

「陽‥‥子‥‥?」
「パパ! マゼラン!」
肩から下をぐるぐる巻きにされたままの陽子が叫んだ。

「この化け物!!」
「あっ だめだっ」
飛び出したジョーダン氏がラバードの髪に巻き付かれ、頭まで完全に包まれてしまう。
「パパっ」
「よせ、ラバードっ! その二人は僕と関係ない! 正真正銘の地球人なんだ!」
「ほう? ずいぶん無力で、まさかと思ったが‥‥これは、また‥‥」

「いいから二人をさっさと解放しろ!」
「お前がわたしに招待されて、ちゃんと取引するなら、放してやるさ」
「取引だって? そんなこと出来るわけないだろう!」
「できない? これでもか?」
ラバードの口元が歪む。陽子の目が大きく見開かれた。
「あ‥‥やっ…ああーっ!」
「やめろ―――っ!」

締め付けられていたラバードの髪が緩み、陽子が喘いだ。怯えと苦痛で、少女の吐息が震えている。
僕の頭や胸の中で熱い‥‥圧力を持った何かが暴れ回ってる。それは痛みに近くて、抑えるのに少し、時間が必要だった。

「‥‥わかった‥‥。言う通りにする。だからその二人を放せ」
「ずいぶんと素直だな、スタージャッジ」
「だから早く陽子を放せ! 女の子をそんな目に遭わせて! お前それでもビメイダーか!」
「ずいぶんないい様だ。お前を無力化したらすぐ放すよ」
「本当だな」
「わたしだってよそ様の星の住民を殺す趣味なぞ無い。用があるのはお前だけだ」
「その言葉、忘れるな」

フラーメが砲を構える。それを見た陽子が悲鳴を上げて暴れ出した。
「マゼラン、逃げて、逃げて! 撃たれちゃうよ!」
「なんだ、何を騒いでる」
乱暴に揺すられても陽子は黙らない。ラバードを見上げて言いつのる。
「撃たないで! マゼランを撃たないで! あの大きな動物だって殺さなかったでしょ!? ウミウシも殺さなかったでしょ!?」

身体の中の熱い塊がまた動きだす。君がこんな怖い目に遭ったのは僕のせいなんだよ‥‥。なのに‥‥

必死に何かを訴えてくる少女をラバードは面白そうに見ていたが、すぐに僕に向き直った。
「何を言ってるかわからん。黙れと言え。頭がくすぐったくてかなわん」

「陽子、落ち着いて。こいつら僕を殺す気は無いんだから」
「ほんとに?」
「ああ、ほんとだ。お父さんと逃げることだけ考えるんだ。僕は大丈夫だ」
僕はなんとか笑顔を作ってみせた。陽子が涙でいっぱいの瞳でこっくりと頷いた。

身体の機能をサポートしているセンサーや小さなパワーユニットを全てオフにした。どちらにしろ電磁ネットで巻かれればサポート機能は使い物にならない。あとは合成人間として持って生まれた力しか使えない。
体中に今まで経験したことの無い信号が広がっていた。こういうのを自然人は不安とか恐怖とか言うのかもしれない。‥‥もし、陽子に何かあったら‥‥。だが今は賭けるしかない。

「いいぜ、ラバード」
ラバードがぱちんと指を鳴らした。一体のフラーメが進み出て砲を構えた。

電磁ネットの衝撃は思ってた以上だった。筋肉繊維が引き攣れて思うようにならない。きつく巻き込まれて、たまらず倒れ込んだ。ラバードが近寄ってくると僕を掴みあげ、ぽんと投げ上げる。クレイ弾が三発、僕の身体で弾けた。地面に落ちた時、僕は白い分厚い速乾性の粘土で覆われて繭のようになっていた。

外と遮断されるまで、「マゼラン!」と何度も繰り返す陽子の声が聞こえていた。ビメイダーである僕をひたすらに心配して、僕の地球での仮の名前を叫んでいた。
今朝からずっと、あの子にその名で呼ばれていた。そう呼ばれては返事をし、話しかけられて応え、笑いかけて手をつなぎ合い‥‥。
"僕の名前"を呼ぶ陽子の声そのものがエネルギーとなって僕に流れ込んでくる。理不尽だけど、僕はそう感じていた。


2006/8/12 改稿 2013/06/09

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