スタージャッジ 第1話
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部屋に戻った僕は、メインルームの一部にある小さなキッチンエリアに入った。湿った小判のタオルがちょこんと置かれてる。たぶんあの子のだ。掃除でもしたのかな? あとで返しにいかなきゃ。水を飲むくらいで料理なんかしないから、シンクもコンロも全く使ってなくてぴかぴかだ。確かに。これを見たら誰も使ってないって思うかも。

間の悪いことにクローゼットも空っぽだった。普段なら着替えが一式かかってるんだけど、先日うっかり壊しちゃって机の引き出しに丸めて放り込んである。エネルギー取りに行ったついでにグランゲイザーで作ろうと思ってたんだ。地球で入手できる普通の服は僕にとっては脆すぎるから、少し強化した服を船で作って使ってる。ああ、僕らビメイダーは新陳代謝とか無いから日々の着替えのようなものは不要だ。ただずっと同じ服だと逆に目立つから多少の着替えを用意してるだけだ。

しっかしベッドに布団がある時点で気づいて欲しかったよなぁ。寝ることで記憶の再構成が行われたり、細かい損傷が治ったりするから、ビメイダーにとっても定期的な睡眠は悪くない行動で、ベッドだけはちゃんとあつらえるんだ。

変わった子だったけど、可愛らしい子だったな。というよりえらく印象的というべきか。あんな年齢の子と喋ったの初めてだ。赴任してからずっと地球人とはできるだけ喋らないようにしてきた。もちろん不動産屋とかどうしても仕方ない時もあるが、僕が話す相手はあくまで組織の一個人だけで、特定の個人とは顔見知りにならないようにしてるんだ‥‥。

やっぱり、引っ越したほうがいいのかな‥‥。

なんだか人懐っこい感じだった。廊下でちらりと顔を合わせただけでも近づいてきそう。近所にああいう人間がいないところを選んできたし、いたらすぐに引っ越してた。そのうえ何ぼーっとしてたんだか、僕までうかつな挨拶しちゃったし‥‥。僕らは担当惑星の住人と親しくなっちゃいけない。‥‥絶対に、いけないんだよ‥‥。

とにかくエネルギーをとっておかなきゃ。エネルギーボードは地球のもので言ったら‥‥そうそう、大きめの板チョコみたいな外形。地球の出動頻度なら一枚で三ヶ月程は持つ。摂取方法は普通に口に入れるだけ。嚥下するかしないかのうちに体温でふわっと溶けて気化して吸収される。
ボードは通常はグランゲイザーに届いて、こっちが船に帰って摂取するのが普通なんだけど、今回はぎりぎりだったから僕が行き倒れにならないようにと特別にこっちに回してくれたらしい。宇宙では電送機は電話みたいなもので、無いと不便なので地表にも持ち込んでる。最近では地表で手に入れた冷蔵庫に仕込むことにしてるんだ。
ヴォイスが八サトゥル前と言ってたのが五時頃だっけ? 一サトゥルは地球の八十分弱だから届いたのはだいたい昨夜の七時頃。惜しかったよな。出動と入れ違いになっちゃったんだ。

冷蔵庫の周囲には静電センサーを仕込んであって、全体を二周撫でてからでないと開かないようになってる。で、いつものようにその白い扉を開けた僕は目をぱちくりとした。庫内は空っぽで何にも無い。なんで? ヴォイスはちゃんと送ったって言ってたよな? グランゲイザーの中継ポイントにひっかかってるかとも思ったけど、無い! ログはちゃんとここまで電送されてることを示してる。僕は焦って何度もドアを開け閉めしてみたけど、そんなことでボードが出てくるはずもない。

ものすごく嫌な予感を押さえ込みながら部屋を探し回った。少女が起きた時そのままになっていた上掛けをのけたら、ベッドの頭部の棚の隅、きちんと畳まれた銀色のシートと青いリボンが‥‥。あわてて取りあげて広げてみる。やっぱりエネルギーボードを包んでたはずのシールドシートだ! リボンも地球のじゃないしっっ!

こ、これって‥‥。
なんか、ものすごーく厄介なことになってるんじゃ‥‥。

僕は部屋を飛び出した。隣の、あの陽子・ジョーダンと名乗った少女の部屋のチャイムを鳴らす。まだパジャマ姿のままで陽子はすぐに出てきた。
「あら、マゼラン、どうしたの?」
「あ‥‥あの、君‥‥、も、もしかして、冷蔵庫の‥‥」
「あっ チョコレート! ごめんなさい、あたし、全部食べちゃったわ!」

や。
やっぱりぃい!!!!

「れ、冷蔵庫、どうやって開けたの?」
「え? 普通によ。パパに触るモノは一度拭いてからって言われてたから、お掃除して、中も拭こうとして開けたら中に包みがあって‥‥」

嘘だろ‥‥。
濡れたタオルじゃ電子通しちゃうもんな‥‥。ぐるっと二周拭いたんだ‥‥。

「リボンがついてたから、きっと大家さんのプレゼントだと思って‥‥」

少女の声がなんか遠い所から聞こえてくる。

どうして?
なんで、こうなるの?
住居の外壁の塗り直しにぶつかることはけっこうあるよ。
でも、なんでそのタイミングでお隣さんが引っ越してくるの?
それも日本の事情にうといアメリカ人の子がたった一人で。
そのうえ鍵開けの名人で、変なとこで几帳面で、なんだかわからないチョコレートをいきなり食べちゃうような無防備な子が。
全部の確率を掛け合わせてみてくれよ。どれだけ小さくなることか‥‥。

「‥‥ねえ、どうしたの? マゼラン?」

だいたいヴォイスも気を回しすぎなんだよ。普通にゲイザーに届けてくれりゃいいのに。エネルギー局も悪いや。さんざん遅れた上に、‥‥まあ、最近あちこちで使われてるから仕方ないんだろうけど‥‥、なんでリボンなんかつけるんだよ。おかげで‥‥。

‥‥そういや、あれ、人間が食べてなんともないのか? HCE10-9を人間が食べてどうなるかなんて、考えたことないぞ‥‥。‥‥‥‥もしあれが原因でこの子が死んじゃったりしたら?

いきなり僕の上着に少女がすがりついてきて、循環器系のリズムが跳ね上がった。
「ごめんなさい! あれ、誰かへのプレゼントだったのね!? いつあげる予定なの?」
‥‥どっ‥‥うしよう‥‥。どっか痛くない? とか、具合はどう? とか確認した方がいいのかな‥‥?

「‥‥どうやってお詫びしたら‥‥。あんなに上手なチョコ、あたし、作れない‥‥」
うつむいた少女の声は今にも泣き出しそう‥‥。だめだ。状況がわからないのに怖がらせちゃ可哀想だ。まず本部と相談しよう。全てはそれからだ。僕は少女の肩に手を置いて身体を離すと、作り笑いで彼女の顔を覗き込んだ。

「‥‥あ、違う違う。いいんだ。ちょっと‥‥変わったチョコレートだったろ? だから‥‥」
「誰かへあげるプレゼントじゃないの‥‥?」
「うん。違うよ。大丈夫だよ」
僕を見つめる少女の顔に少し安堵が広がる。

「ああ、良かった‥‥。でもとっても美味しいチョコで‥‥。あれ、手作りでしょ? どうしたの?」
「‥‥あ‥‥。‥‥うん‥‥。ええと、会社の人からもらったっていうか‥‥」
「‥‥ごめんね‥‥。その人にも悪いことしちゃった‥‥。今度お詫びにあたしの好きなチョコをあげる。お祖父ちゃんちのそばのお店なの」
「うん。ありがと。じゃ‥‥」
「そういえば! 冷蔵庫、あんまり冷えてなかったみたいよ。早く修理頼んだ方がいいわ」
「あ、ああ、そうする。ありがとう、じゃあまた!」


挨拶もそこそこに部屋に戻ると通信機を取り出して本部にアクセスした。
〈あら、0079、また事件?〉
「大変です! 送ってもらったエネルギーボードを地球人に食べられてしまいました!」
〈それはまた、珍しい〉
「珍しがってる場合ですか! だいたいあんなリボンなんかつけるから!」
「‥‥地球の習慣をわざわざ調べてあげたのに、心外なコメントです」

「そんなこといいから質問に答えてください! まずあのボード、地球人に害は? 食べた個体はどうなるんですか!?」
〈安心しなさい。あれはほとんどの生体に無害です。プラスもマイナスも、なんの影響も与えません〉
「エネルギーは?」
〈貴方達と同様、体内に分散して蓄積されています。生体では消費出来ませんから、そのまま対流し続けているだけですね。吸収システムを持つ貴方なら簡単に取り出せますよ〉
「どうやって?」
〈表皮の薄い部分から吸収するんです。地球人の構造からして唇が適切でしょう〉

「‥‥くちびるから‥‥どう‥‥?」
〈‥‥0079のシステムは‥‥なになに、エネルギーは経口摂取と‥‥。ならば当然く‥‥〉
「ちょっと待って下さい! 地球の習慣において、そーゆー行為はですねっ!」
〈各惑星での習慣云々は派遣されている担当員が担うべき問題です〉

「無理ですよっ 僕は次のボードが来るまでグランゲイザーで眠らせてもらいます!」
〈スタージャッジ0079! 貴方はあのエネルギー‥‥HCE10-9の重要性をなんだと思っているのです! 指名手配中の広域犯罪者であれを手に入れたがる者がどれだけいるか!〉
「‥‥そ、それは‥‥」
HCE10-9は純粋な動力エネルギーとして使えるだけでなく、触媒や高速動力炉の潤滑媒体としても使える特殊エネルギーで、製造方法そのものも連合の極秘事項だ。連合の機関やオーソライズされた設備では使われているが通常の営利活動には基本的に使えない。だからブラックマーケットではかなりの高値で取引されている。

〈問題の地球人の生命を気にしなければ、HCE10-9を一気に吸い出すことも可能です。その場合、HCE10-9の移動経路となる細胞は熱による壊死を免れないでしょう。表皮の薄い部分からエネルギー流量を押さえつつ徐々に回収するのが最も安全な方法なのです。それぞれの星の原住生命の遺失は極力避けるのが本部の方針なのはわかっていますね〉
「‥‥わかって、います」
わかってる。もちろんわかってるさ。
そんな方針なぞ無くたって、あの子をそんな目に遭わせられるか!

「とにかくエネルギー回収に全力を尽くします」
〈回収が完全に終了するまでその人物を監視下に置きなさい。スパイ・クリーチャの使用も許可します。それから例の植物は?〉
「あ、忘れてた。すぐ送ります!」
回収してきた芽を冷蔵庫の中のサブケースの中に入れる。冷凍庫側のスライド式のボードを出して掌を当て、出現したコンソールに手早く座標をセットしてドアを閉じた。

電送――正確にはクライリー電送と呼ぶ――の仕組みはこうだ。まず対象物質の組成データを電磁波で送信する。受信側の原子状態が適切なことが判明したら、送信機内の物質を構成する粒子を全てクライリー波動に変換して送出する。クライリー波動は不可逆でパルスの特性を持つので、送信側ではその物質は消滅。受信機側では受け取ったクライリー波動を受信機内に存在する粒子に写し取り、元の物質を構築する。

クライリー波動は電磁波と同じスピードで伝搬し、通常の空間ならほぼ完璧に電送できる。ただリープ伝送路を経由させると、電磁波同様にエラーが入る可能性があるんだ。でも電磁波送信は送信側に元の物(データ)が残ってるからまだいい。クライリー送信は移動だから、送信後に変成してることがわかっても元に戻せない。

これは送る物質にも左右される。エネルギーボードのように一様な物質は限定モードで送るからまず問題は起こらないが、自然物のようにゆらぎが多いものは限定モードじゃ送れない。さっきも言ったように物体の組成データは予め送信されてるから、変性の度合いがどのくらいかは測定することができる。もし変性があまりに大きかったら破棄せざるを得ないこともあると思う。

どうしても完璧に届けたいなら直接船で持っていくのが一番安全。歪んだ空間を通過しても物質は物質のままだからだ。でも今回の芽のように多少エラーが入ってもいいものは(どうせラバードのだし)、こうやって電送で送るのが手っ取り早くていい。

そうこうしてるうちにパネルに送信済みのサインが出る。冷蔵庫をあければそこにはもう何もない。

そこまで終えて、僕はベッドに座り込み、話を整理してみた。

あの子からエネルギーを返してもらうには、僕は、彼女に‥‥地球人が言う‥‥つまり‥‥キスをしなきゃならないらしい。
キスというのが地球人にとってどういうものか、なんとなくはわかってる。物理的な生殖行為の一プロセスが、人間の社会的進化に伴い、異性とのコミュニケーションを主要目的とする精神的行為に変形したもの。相手の身体に物理的な障害を残すようなものじゃないが、若い個体や女性にとっては精神面に与える影響が大きい‥‥

わー、こんな知識あっても、ぜんぜん役に立たないじゃないか!

困ったことには時間も無い。二十四時間過ぎたら今の僕は"死ぬ"。そうしたら任務は半年前の僕が引き継いで、そいつが‥‥‥。

それは避けたい。だって過去の僕はあの子のこと知らないんだぞ。そりゃ僕だってそんなに知らないけど、過去の僕に任せるのはちょっと‥‥。じゃあ今からグランゲイザーに戻ってバックアップを取るか? いや、そんなことやってるより、彼女からエネルギーを返してもらう方が早い気がする‥‥

ピンポンとチャイムの音がした。ドアを開ければそこに居たのは目下大問題中の地球人、陽子・ジョーダンだった。
「いろいろごめんね、マゼラン」

そう謝る少女を、僕は改めて見つめた。
太い紺のストライプが入った大きな襟の白いシャツに紺のショートパンツ。そこに丈の長めの淡いピンクのジャージーカーディガンを羽織り、キャンバス地の小さなバッグを斜めがけしている。ゆるやかなウェーブがかかった髪は栗色。前髪の上からねじったんだか編んだんだか髪を器用にまとめて、右耳のあたりに髪飾りで留めてる。身体の細さがなんだか人形めいてるが、表情は実に豊かだ。ほんのり上気した頬に大きな黒い瞳、すっきり通った鼻筋に、艶やかでふっくらバラ色の‥‥。

‥‥って、だめだめだめ! 意識するとこっちが思考停止になっちまう!

「‥‥やっぱり‥‥、怒ってる‥‥?」
「お、怒ってない、怒ってない。ぜんぜん怒ってない」
「良かったぁ。あの‥‥じつはちょっとお願いがあって‥‥」
「なあに?」
「色々お買い物しなきゃならなくて‥‥。このあたり、どこにどんなお店があるか教えてもらえないかしら」

買い物ね。少なくともそばにいる口実にはなりそう。ここらに何があるかなんて覚えすぎて飽き飽きしてるもんな。
「いいよ。良かったら付き合おうか?」
少女の顔に陽が射したような笑顔が広がった。
「ほんと? すごく助かるわ! ありがとう!」
陽子は本当に嬉しそうな顔で僕の腕を掴んだ。たぶん十五、六歳と思うんだけど、もっと小さな子が背伸びしてるようにも見える。

このまま行けるというので僕も靴を履いた‥‥ら、地鳴りのような音が響いてきた。地震?

廊下に踏み出した僕の目に飛び込んできたのは、ものすごい勢いで走ってくる怪人の姿。小さめだが手足が二本ずつで頭は一つ。明るい栗色の長い髪が顔の周りでむちゃくちゃになびいてる。赤い顔に青く爛々と光る目。口は耳まで裂けてそうだ。陽子をかばって前に出た僕にまっすぐに飛びかかってくる。その勢いを利用して、怪人を室内に引きずり込んでドアを閉めた。もちろん陽子のことは廊下に押し出してある。

力は地球人よりちょい上ぐらいだから、たいしたこっちゃない。電撃とかの武器もないみたいだ。探索用のピットに穴があって侵入させちゃったのかな。どこの宇宙人だろう。ここまで地球人に似てるやつ知らなかったなぁ。しかし、なんで地球の服着てるんだ? ‥‥もしかしてこれ、日本の妖怪ってやつかも。そういや図鑑で似たの見たぞ。髪の毛が長い‥‥、そうだ、けうけげんだ!

「きさま〜〜〜!」
え?
「ワシの娘に何をする!」
日本の妖怪が英語喋ってる〜〜!

「パパ、やめて!」
飛び込んできた陽子が、固まった僕に馬乗りになった怪人をなだめ始めた。さっきからなんか気になる言葉が飛び交ってるんだけど。娘とか、パパとか‥‥

「陽子! 大丈夫か!」
「大丈夫よっっ もう、出てくるのはよっぽどの時だけって約束したでしょ!」
「ヘンな男が部屋に侵入してきたんだぞ! これぞよっぽどの時!」
「違うの、間違えたのはあたしなの! あたしがマゼランのお部屋で眠っちゃっただけで‥‥」
「なにー!! ききき貴様っっ 娘を部屋に連れ込んで眠らせて何をするつもりだった何を!!!」
「ちがうってば! もうやめて! マゼランを放して!!」

僕はというと、怒りまくった怪人にがくがく揺すぶられながら、この怪人がちょいと髪が長くて顔が怖いだけで、れっきとした地球人であること、でもってこれが陽子の父親なんだって事実を一生懸命理解しようとしていた。

 * * *

僕は車で遊園地に向かっていた。陽子は後のシートに居る。あのとんでもない親父さんと並んで。なんでこんなことになってるかというと、陽子が父親をなだめるため(自分が行きたかったのもあるらしいが)遊園地行きを提案したからだ。親父さん――モロ・ジョーダン氏の仕事は遊園地のアトラクションの企画なんだそうだ。

無言のまま運転する僕を尻目にお客さん達はひたすら喋り続けてる。

「なあ陽子、一人暮らしごっこなんかやめてアメリカに帰ろう。日本に来るのは大学が始まってからでいいだろう?」
「やだ。半年間は一人で住むんだもん」
「パパが住んでた頃と比べると日本も物騒だ。今度のことでよくわかった。どうだ。いっそ入学を取り消して、アメリカの大学に入り直せば‥‥」
「絶対やーよ! そんなこと言うなら、あたしは今からずーっとミナゾウお祖父ちゃんとこに住んじゃいますからね。大学終わっても帰らないから」
「そっ それは‥‥っ」

おかげさまで多少の状況は見えてきた。陽子は来年の春から日本の大学に入学が決まっており、留学中は日本にいる祖父の家に住む予定になっていたようだ。だがおてんば娘は父親の反対を押し切り、半年早く日本に来てしまった。ジョーダン氏は送るだけと約束させられたものの、娘が心配で近くから様子をうかがっていたらしい。

聞くほどにジョーダン氏に同情したくもなるが、僕の任務の最大の敵がこの人物なのは間違いない。陽子がどんなに言ってもジョーダン氏は僕への疑いを解かず、ずっと見張っていると宣言したんである。地球に来てからの2418年の任務の中でここまでのピンチに陥ったことはない。そんな気分になるぐらい僕はめげてた。

幸いアパートからそう遠くないところに、ファンタジーランドという遊園地がある。地元の遊園地という感じの手頃なもので、夏休みの平日だから子供連れがかなり多かった。こういった施設が普及するようになってから、有名どころの遊園地には時々行っている。カジノのような施設は宇宙でもよくあるのだけど、子供の娯楽をテーマにここまで上質でこんな大きな規模の施設を作る人種は宇宙ではそう多くない。これは地球の立派な観光資源になるというのが本部の意見であって、それで僕の調査項目にも遊園地が入っているんだ。特にローラーコースターの技術には舌を巻く。なんせ一切の動力なしに位置エネルギーだけであれだけの動きを提供するんだからね。こういったことに知恵を絞り金をかけることができるのが地球人の特徴の一つだ。

到着するとジョーダン氏は陽子より大喜び。娘の手を引っ張って色んな乗り物に乗っている。ジーンズに煉瓦色のジャケットを羽織りラフな白シャツにニットタイを着こなしたジョーダン氏は、陽子とよく似た明るい色合いの長髪も相まっていかにもなアメリカ人だ。最初本気で妖怪だと思ったが、こうして見てるとそんなこともないか。
彼の笑顔を見たせいかな。地球人以外の宇宙人と会う機会があまりないからよくわからないが、地球人は表情が豊かだと本部で何度か言われた。特に笑顔と呼ばれてる表情は厄介で、画像分析にかけるといくつかパターンに分類でき、それぞれが異なる精神状態の表現方法になっていたりする。で、今のあの親子の笑顔は高い確率で「楽しい」とか「幸せだ」ということを示している。

そう。地球人は子供が楽しむことを大人も楽しむことが出来る。それがこの規模の施設を作っても採算が取れる理由なんだろう。まあジョーダン氏にとっては次のアイデア探しという目的もあるのかもしれないが、彼が今、娘と本当に楽しんでいるのは確かだ。そしてこのままでは、僕の任務が滞るのもとっても確かな事実だったりする。

ということで実力行使に出た。はしゃいで父親より先にミラーハウスに飛び込んだ陽子を誘導し、ジョーダン氏を撒いたんだ。僕のセンサーにとっては鏡と壁は同じだ。さすがに透視はできないが壁の向こうの体温や声もはっきりと知覚できる。全くすみませんね、親父さん。地球の平和と僕の命と、なにより陽子自身の安全がかかってるもので。

「あれえ? パパ、どっか行っちゃった?」
笑い転げたままミラーハウスの出口を飛び出し、僕の押しやるままに脇道に入ってしまった陽子がそう言った。
「あ、お父さん、なんか調査したいことがあるって言ってたよ」
ここまで想定外な状況の中で我ながらよくやったと思いつつ、そう応える。
「そうなの。そうねえ、パパ、ほんとにお仕事好きだから‥‥」
疑いもせずにそういいながらくすくすと笑っている少女を見たら、一転、自分が誘拐犯になった気分に陥った。
と、陽子がいきなり僕の手を取る。
「観覧車! マゼラン、あれ乗ろ!」
少女に手を引かれるまま走り出す。僕の指を中途半端に掴んでいる華奢な手を、逆に握り返した。陽子がちらりと振り返って僕をみやり、光のように笑った。


観覧車に乗ったのはじつは初めてだ。技術的にたいしたもんじゃないし、カプセルに閉じ込められて上下にぐるっと回るってムダっぽいと思ってたけど、乗ってみるとよく出来てる。少なくともこの隔離された感じは今の僕にはぴったりだ。
空は晴れわたり見晴らしは最高。陽子はあちこちから風景を見下ろしてまたまた大はしゃぎ。狭いカプセル内をさんざん動き回ったあげくに、僕の隣にちょこんと収まった。本当にまあ、この子の占有する空間のなんと小さなことか。花のようなバニラのような甘い香りがした。

「観覧車、大好き」
「そうだね。こうやって高いとこでのんびりするのも、悪くないね」
「マゼランのお仕事は、高いとこに上るお仕事なの?」
空を飛べることがばれたのかと一瞬どきっとする。
「え? どうして?」
「高いとこには慣れてるけど、のんびりできないみたいだから」
「はは‥‥。そうか。そうかもね」
確かにその通りだ。僕はしょっちゅう高い所を飛んでるけど、何かを探したり、追っかけたり、時には追っかけられたり、そんなのばっかりだから。しかし、この子‥‥。なんだろう。カンがいいのかな?

「あ、パパだわ!」
「えっ!」
僕は陽子の肩に置こうとしてた手を思わずひっこめた。彼女が示した先。はるか下の広場の中を走っているジョーダン氏が見える。あの長い髪を思いっきりなびかせながら。周りの人が‥‥ちょっと避けてるみたいだぞ。あーあ、申し訳ない。さぞかし焦ってるだろうな。

「パパったら怒ってばっかりで、本当にごめんね。男の人と話すといっつも怒るの」
娘を溺愛する父親って、地球のフィクションではステレオタイプみたいなのが出てくるが、ほんとに実在してたんだと感心してる。何事も学習だなぁ‥‥っていやいや、感心してる場合じゃない。
「きっと、君のことが本当に心配なんだよ」
「そうかなぁ。でもフリークライミングとかはすぐやらせてくれたのよ。男の人って岩登りより危ない?」

そ、そう言われましても、なんと応えたらいいのやら。異なる遺伝素子から子孫を生み出していくシステムは宇宙的規模でポピュラーだけど、いわゆる"性"のあり方はあまりに様々だし、だいたいビメイダーの僕にはそのへんのとこはどうも‥‥。
「パパ以外の男の人と二人っきりになったの初めてだけど、ぜんぜん怖くないじゃない?」
「だって最初から怖かったら二人っきりにならないだろ」
きょとんとした丸い瞳が僕を見つめる。
「じゃ、マゼランはこれから怖くなるの‥‥?」
「あ‥‥。い、いや、そーゆー意味じゃなくってっっ!」

あたふたと言葉に詰まった僕に、少女はにっこりと笑った。
「マゼランはいい人だから大丈夫だもん」
「‥‥どうして、いい人ってわかるの?」
「間違えちゃったことをわかってくれたから。怖い人はわかってくれないよ。悪いと思ってやったことも、間違いもおんなじように怒るの」
「なるほど」
僕はまた微笑んだ。かなり不十分な気もするが、何か本質的なことを突いているような気もする。悪いとわかってることをやる自然人の性癖は我々には理解しがたい部分もあるけど、そういうことはよくあるらしい。

たわいもない話がなんでこう楽しいんだろう。陽子の言うことはある時は興味深く、ある時は心地よい。僕はエネルギーのことを抜きにして、この子に興味を持ち始めてた。そう、なんというか、一緒に居る時間をできるだけ長く保ちたいような‥‥。

「あ、富士山が見える!」
「ああ。今日、いい天気だからね」
「ミナゾウお祖父ちゃんの家はあの山のそばなの」
「大学が始まったら住むって言ってた?」
「そうそう。ミナゾウお祖父ちゃんはママのお父さん。えーと、あたしのママは日本人で、パパはアメリカ人なの」
「ああ‥‥それで‥‥」
陽子の黒い瞳は母親譲りだったんだ。

「じゃあ今、ママだけアメリカにいるの?」
「ううん。ママはあたしが生まれた時に死んじゃった」
「あ‥‥」
親が死ぬというのは人間にとっては悲しいことと理解してる。どういうリアクションをしたら‥‥。でも陽子はにっこりと笑って手を振った。
「たぶん悲しいっていうのは無いと思うの。だから気にしないで。だってママの顔、写真でしか知らないもの」
陽子が差し出したロケットに若いジョーダン氏と日本人女性が並んでいる。まさに美女と野獣‥‥。でも。
「とてもいい笑顔だね」
「家にはこういう写真がいっぱいあるのよ。パパはママのことを今でもすごく愛してるの。ママのことは知らないし、死んじゃって可哀想だけど、でもきっととても幸せだったと思う。あたしも、あたしのことをそういう風に愛してくれる人と会いたいな‥‥」

「きっと会えるよ‥‥」
「ほんとに?」
「君はいい子だからね」
陽子は嬉しそうに微笑んだ。

僕の循環器系がまた、どきん、どきん、と妙な具合になった。この子は自分をずっと愛し続けてくれる男性との出会いを夢見てる。キスはその人間との大事な儀式になるはずだ。でも僕は陽子にとってそんな役割の果たせる男じゃない‥‥‥‥。


2006/7/29 改稿 2013/06/16

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