スタージャッジ 第3話
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あまりに急激なエネルギーレベルの低下で一瞬身体の全機能が止まったが、幸いすぐに正常状態に戻った。だが出力が一切でない。僕を壁に縫い付けている銛を動かすことすらできない。
「HCE10-9は少し残してあげた。でも今のキミじゃ、それは抜けないと思うよ」
マリスの得意げな声を聞きながら、僕は銛の柄を左手で押しやり、重心をできる限り逆にかけた。こうなったら身体を破壊した方が早い。だがマリスが僕の手を掴んだ。

「キミって無茶苦茶な奴だね。でもそうはさせない」
奴が僕の手をまた別の金属で壁に固定する。こっちは何かノイズのようなものが出てる。手がしびれて自分のものじゃないみたいだ。‥‥これでどうやって陽子を助けたらいい!?

「どうしたのっ ねえ‥‥っ」
上部が床に付くほど傾いたY字の柱の向う側から陽子の不安げな声がする。そのうちそれが途切れ、苦しそうな喘ぎが聞こえた。マリスは僕から離れると、Y字柱をぽんと飛び越えた。
「お姉ちゃんのおかげで捕まったよ。ボクの欲しかった玩具」
そう言って無造作に柱を殴る。ばらばらとクレイが崩れ、陽子がどさりと床に落ちた。小さな呻き声をあげてうずくまったその背中が‥‥。

自分の目ではっきりと捉えた映像なのに、僕はそれを拒否しようとしていた。誰かが陽子の背中に塗料でもぶちまけたんだ‥‥。きっとそうだ‥‥‥‥と。
そんなこと、あるはずも無いのに。

陽子の小さな背中の右上部が焼けただれていた。焦げたTシャツからのぞく血まみれた肌があまりに痛々しかった。HCE10-9の急な流れは、陽子の身体を内から焼き、たぶん肺胞の一部をつぶしたんだ‥‥

陽子が顔をあげ、僕の姿を認めた。瞳がまん丸に見開かれ、血の気を失った唇がわなないて、何かを叫ぼうとした。
「ストップ、陽子。もう喋るな。苦しくなるから」
僕は急いでそう言った。
「大丈夫。僕は君達とは身体のつくりが違う。このくらい、なんてことない」

陽子は叫ばなかった。でもふらりと立ち上がると僕の方に来ようとする。マリスはそんな彼女を両腕で囲み捕らえると、僕を見てにっと笑った。
「はっきり言ってやったら、スタージャッジ。『僕は機械だから、この程度じゃ死にゃしない』って」
マリスは陽子を背中から抱きしめて、髪を撫でている。
「エネルギーをもらうって言ったらさ、この子、キミ以外の人とキスするのやだって必死で逃げたんだ。可愛かったけど哀れだったよ。キスだなんて、そんなことで女の子有頂天にさせて。機械のくせに女の子騙してさ。キミのせいでこの子はこんな目に遭ったんだよ」
「ちが‥‥!」
「陽子。もういい! そいつの言う通りだ。僕は地球の言葉で言ったら一種のロボットだ。人間じゃない」

HCE10-9を奪われる瞬間に陽子が感じただろう恐怖と苦痛が、僕の中に流れ込んできていた。この苦痛は自分の身を守るための予備信号ではなく、今現在のものですらない。それでもそれは僕が知っておかなければならないものだと思った。
流量を抑えずにHCE10-9を取り出したとき、何が起こるのか‥‥どれだけ危険なものが自分の体内にあるのか‥‥陽子は知らなかった。マリスがあの装置を使ったとき‥‥陽子は、どれだけ苦しかったろう‥‥。そしてどれだけ驚いたのだろう‥‥。

「全部、僕のせいだ。僕は作り物のビメイダーで‥‥君を騙してた‥‥。‥‥だからもう、僕のことなんか気にするな。自分のことだけ、考えてくれ」

陽子が人形のように表情を無くした。うつろな瞳のまま視線を落とした。一方、マリスはいかにも楽しそうな笑い声をあげた。投げあげんばかりにして陽子の向きを変えさせると、両腕を掴んでその顔をのぞき込んだ。
「聞いた、お姉ちゃん? わかった? あいつ機械なんだよ。命令通りに動く機械。とうとう白状したね。キミ、ずっと騙されてたんだよ。かわいそうにね。でも、大丈夫。ボク、お姉ちゃんのこと気に入ってるんだ。だからずっと優しくしてあげたろ?」
マリスは陽子を抱きしめたかと思うと、ほおずりし、髪をなで、首筋にキスをする。陽子はただされるがままだ。

陽子と別れる時‥‥。それは僕が陽子の記憶を奪う時だと漠然とそう思っていた。陽子が自らの意志で僕から離れていく‥‥。そんなシチュエーションは想像もしてなかった自分に気づいた。
僕はただ、陽子に嫌われたくなかったんだ。人から好かれるとか嫌われるとか、今まで考えたこともなかったのに、僕はひたすらにこの少女に嫌われたくなかった。ショックを受けてる陽子を目の当たりにして、僕はそのことを思い知った。

でもなんとしても陽子を助けねば。この子を無事地球に送り届け、親父さんや祖父母の元に返してやらなければ、僕は死んでも死にきれない。

マリスは陽子の頬を撫でながら、ひたすら明るく陽子に話しかけている。
「ね、元気出して。もういいでしょ。ボクにキスしてよ、お姉ちゃんから僕にキスするんだ。そうしたらキミを助けてあげる。その傷を治して、キミをパパとママのところに返してあげる。あのいやなスタージャッジの記憶共々、キミの記憶を消してあげるよ」

「‥‥そうしたら、マゼランも助けてくれるの?」
陽子がつぶやくように言った。マリスを見上げると、いきなりその胸元を掴んだ。
「どうしたら、マゼランを助けてくれるの?」

「お姉ちゃん。なに言ってるの? あいつは機械なんだよ機械。キミを騙してたんだって、あいつが自分の口で言ったろ?」
「‥‥マゼラン、自分が人間だなんて‥‥ひとことも言ってないよ。遠くの星から来たって、それだけ‥‥。エネルギーも、あたしが間違えたの。あたしがこうしようって言ったの‥‥。一緒に居たかったから‥‥。マゼラン、誰も騙したり、してないよ」

マリスが身を起こして背を伸ばし、目を細めて、陽子を下目で睨め付けた。
「‥‥お姉ちゃん。もう一回聞くよ。もう死ぬしかないあいつと、キミを助けてやれるボクの、どっちを選ぶの?」
「マゼランが好き。こんな大事なこと‥‥嘘つけない‥‥」
マリスの顔がすっと白くなった。

「やめろっ」
僕の制止の声より早く、マリスは陽子を両手で掴み上げ、ぽんと突き飛ばした。
「陽子っ」
背中から壁に打ちあたった陽子の悲鳴は、もう声になっていなかった。そのまま床に崩れ落ちる。
「キミの望んだことだよ、お姉ちゃん。そいつのそばで、今言ったことを後悔しながら死になよ。お姉ちゃんが死んだら、今度は絶望したスタージャッジをばらばらにしてやる」

奴がそう言った瞬間、ぐらりと船が揺れた。
「なんなんだよ、もう、いいところなのに‥‥。二人とも、今のうちに別れのおしゃべりでもしときなね」
マリスは手を振ると、部屋を出て行った。

僕は思わずほっと息を吐いた。秩序維持省が来たんだ。ある程度時間をおいてから、本部と維持省に連絡を取るようにゲイザーのメインマシンに手配してきた。本当はその時までに陽子の安全を確保するつもりだったが、状況は悪い。でもなんとかできるだろう。
力任せに左腕を引いた。やたらめったら力を入れているうちに、めりめりと音をたてて、金属の入っているあたりから亀裂が入ってきた。思い切り引っ張ると、前腕の先がちぎれ、腕が自由になった。

「マゼラン?」
見ると陽子が半身を起こし、真っ青な顔で僕を見上げていた。
「やめて‥‥、手が‥‥」
呻きをこらえ、痛みで荒れた息を僕はなんとか整えた。
「‥‥ああ‥‥。驚かせた。ごめん。もうエネルギーが無くて‥‥」
「だめ‥‥待って‥‥」
「もう少しの辛抱だ。必ず助けるから‥‥」
今度は右手を引っ張る。まったく僕の身体の方が脆いなんて‥‥。でも仕方ない。あとは陽子を抱えられさえすれば、それでいい。

「待ってよ」
少し大きな声に驚いた。陽子が壁伝いにこっちに近づいてきていた。
「エネルギー‥‥あたしの‥‥まだ残ってるかもしれない‥‥」
「いいから、じっとしてろ! その傷‥‥」
「自分のこと考えるな、なんて‥‥もう、言わないでよ‥‥。マゼランばっかり‥‥がまんしなくて、いいんだよ」
その言葉に僕は思わず動きを止めて、陽子を見つめ‥‥‥‥次の言葉を無くした。

白い息を吐きながら、陽子は微笑んでいた。青白い顔と血の気のない唇と乱れきった髪で‥‥でも彼女は確かに微笑んでいた。そこには苦痛も怯えも無くて‥‥なぜそんな表情ができるのか、僕にはわからなかった。
「あたし‥‥力、ないけど‥‥でも‥‥試してみようよ、あたし達の魔法‥‥」

ふと思い出した。彼女とのつきあいの中で、僕が地球人として不自然なことを言ったりやったりした時、陽子はよくいたずらっぽく笑って「そういう時はこうするのよ」教えてくれたものだった。今の陽子の笑顔が、それとかぶった。
「キスしたら‥‥きっとまた‥‥変身できるよ‥‥そうしたら‥‥そんなの壊せるから‥‥」

胸の中にとてつもない暖かさと、凍り付くような恐怖が同居していた。少女の思いが誘導電流みたいに僕の中に入ってくる。それと引き換えのように、少女の命が少しずつこの冷たい空間の中に散じている気がした。
「一人で‥‥。いっつも、一人で‥‥苦しまなくて‥‥いいから‥‥」

陽子が僕の足に触れた時、船が上下に激しく揺れ、陽子の身体を押し上げた。左腕をぎりぎりまで伸ばし、華奢な身体を引き寄せる。陽子はひどく穏やかに笑んで、瞳を閉じた。

優しい柔らかさはいつものままで、でもその唇は冷たく‥‥ひたすらに冷たくて、流れ込んでくるエネルギーなどひとしずくもない。マリスは陽子の中のHCE10-9を奪い尽くしていた。その胸に耳を寄せれば聞こえてくるのは浅く淡い呼吸。とくん‥と弱々しい鼓動‥‥。

消えてしまう、このままでは‥‥。

失うのか‥‥。

俺は失うのか、この子を‥‥‥‥

――――いやだ‥‥

――絶対に、いやだ‥‥!



胸の芯が、熱した鉄棒でも刺し込まれたように、熱くなった。
その熱が広がって全身を覆い始めた。
右手が自由になり、腹に刺さっていた銛を抜いた。
僕は陽子を抱えて壁を蹴った。
身体にエネルギーが満ちていた。
理由など考えなかった。


ただ、陽子が助けられれば、それで良かった。


2009/6/23

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