スタージャッジ 第2話
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〈原住民と一緒なら本望だろう!〉

雷がすぐ後ろにいるみたいな感じがしました。ほんとはちょっと怖かった。でもマゼランがあたしを抱きしめたままだったから、あたしは彼のシャツをぎゅっと掴んでその胸に顔を埋めていました。

だんと床を蹴る音。マゼランの片手が上がって、つられて顔を上げたら、宇宙人の蹄をマゼランの手が受け止めてました。それをえいっと放り出すとあたしを抱えたまま後ろにひと跳び。
「ちょっとだけ待ってて」
とんとおろされたあたしは一応頷いてますけど、はっきり言って悲鳴を上げないでいるだけで精一杯です。

「クラッディング!」
マゼランの回りにまたあの鎧が現れます。
「IDスライサー!」
白い大砲が不自由そうに片羽根をのばします。マゼランはその胴体のどこかをひっつかんで、刃になっている羽根を緑の宇宙人に振り下ろしました。四つ足の宇宙人が叫び声をあげてうずくまります。
〈この死に損ないが!〉
青いのがこっちに向かって来た、と思ったら、あたしはもうマゼランに抱えられてフクロウさんの近くまで飛び上がってました。マゼランは上を見てる。天井にドカンとあいた大穴から、真っ青な夏の空がまぶしすぎなくらいキラキラしてました。

〈ああ。やっと来てくれた〉
なにが来たのと聞こうとしたら、空にいきなりぽかっと黒い穴が開いて何かが二つ落ちて来ました。きっとまた別の宇宙人さんですね。格好は人間ぽいけど宇宙服を着てるのかな。よくわかんない。どっちにしろこんなに背の高い地球人なんてあり得ないわ。

〈私はシリウス星系秩序維持省第3管区所属 認識番号357だ。プランドゥにアトロス。捕獲する〉
〈ま、待て。何を証拠に‥‥〉
〈特A級凶悪指名手配犯のおまえ達に反論の権利はない〉

後から来た宇宙人さん――多分刑事さん――が何かを投げました。逃げようとした二人の上に大きな輪っか一つずつ広がると、それが下に向かってスライドします。彼らはそれぞれが筒に入ったようになりました。次の瞬間、中がぴかっと光ったと思うと、もう彼らの姿は消えてます。どうなったのか聞きたくて振り返ったらマゼランはもういつものマゼランに戻ってました。
「あの人達、どうなったの? 死んじゃったの?」
「いや電送されたんだ。生体にはかなりきついんだけどね」

〈スタージャッジ0079かい?〉
あたし達の高さまで浮き上がってた刑事さんがマゼランに向かってそう言いました。
〈はい〉
〈"森で一番大きな木に住む朝焼けの光の羽根"さん。ご無事で何よりです。シップにどうぞ〉
もう片方の刑事さんがフクロウさんに手を伸ばします。フクロウさん、素敵な名前ね。

〈ちょっと待ってください〉
フクロウさんがそう言うとマゼランに近寄り、身をかがめてマゼランの胸のあたりにクチバシを押しつけるようにしました。
〈どうもありがとう。地球のスタージャッジ。あなたのお陰で命拾いしました〉
〈こちらこそ。色々手伝ってくれてありがとう〉
唇とか血が出てたけどマゼランの顔はとっても嬉しそうで、あたしは幸せな気持ちになりました。すごく苦しんだけど報われて良かった。一歩間違ったら死んじゃいそうだったんだから、そんな言い方気楽すぎるかもしれないけど、今のマゼランを見てたらそう思えるの。

フクロウさんは今度はあたしにすりすりしてきました。
〈もし宇宙に出る時代になったら遊びにきてね、可愛い人〉
「もう悪い人に捕まらないでね」
あたしが生きてる間に宇宙旅行なんて絶対無理そう。もう二度と会えないと思うけど、あなたの背中に乗せてもらったこと一生忘れないわ、"光の羽根"さん。
フクロウさんは片方の刑事さんに連れられて空に上がって行きました。空にまた黒い丸が現れてその中に消えていきます。いったいどうなってるのかな。

〈よかった。この人も眠ってるだけだ〉
見たらマゼランが例の袋の中から捕まった人を助け出してました。若い男の人と女の人。マゼランが美人のおねーさんを覗き込んで、唇や首筋に触れてるの見てると、ちょっと‥‥その‥‥複雑な気分です(汗)

〈ああ。連中は最初は殺さないんだ。大事な商品だからね。ただ生体より剥製やパーツの方が実入りがいいとなると、生きたまま解剖するような実にむごたらしいことをする。その人達が無事で良かったよ〉

あたしの顔色、たぶん変わってたと思います。身体を触られた時の感覚が蘇って気分が悪くなり、口を覆って座り込みそうになりました。気づいたマゼランがすぐにそばに来て支えてくれました。
「大丈夫?」
「う、うん‥‥。ちょっと‥‥思い出して‥‥」

〈その被害者は途中で起きてしまったのか。記憶を消さないと‥‥〉
刑事さんが大きな手を伸ばしてきて、あたしはまた怖くなりました。でもマゼランがあたしをぎゅっと抱き寄せると言ってくれました。
〈この子のことは、僕が〉

〈そうだな。任せよう。しかし君もずいぶん無茶をする。スタージャッジ本部はシップごと消滅させると言っていたぞ〉
〈確認したら想定外の生体波があって、もしかしてと思ったんです〉
〈君がもっと早く彼らを消滅させていたら地球人達の安全は守られたろう。人質のおかげで初動が遅れて彼らを取り逃がした我々と同じ過ちをスタージャッジの君が―――ビメイダーである君が冒すとは〉

「同じ過ちじゃないよ。同じ優しさだよ!」
「陽子。だめだよ」
「だって!」
あたしは思わず叫んでました。確かにあたし、怖かったけど、でもマゼランは命令違反してもあのフクロウさんを助けたかったの。それはとっても優しい気持ちだったの。

〈ど、どうしたんだ、急に?〉
〈あ、いや、その‥‥〉
〈そうか。気が高ぶっていて当然だな。早く帰してあげないと。スタージャッジ0079。批判めいたことは言ったが我々は君にとても感謝してる。人質になっていた"光の羽根"は子供が生まれたばっかりだったんだ〉
〈そうだったんですか〉
〈とにかくありがとう。スタージャッジ本部にもこの気持ちを伝えるよ〉
〈光栄です〉

宇宙人の刑事さんが掌を上向きにして、マゼランの前に手を出しました。マゼランは驚いた顔をして刑事さんのヘルメットを見ます。刑事さんが促すように掌を揺らしたので、マゼランは相手の手の上に自分の手を重ねました。握手なんでしょうか。差し出された大きな掌に乗ったマゼランの手は小さな王子様の手みたいに可愛くて、あたしは思わず微笑んでしまいました。


 * * *

目が覚めたら一人でした。部屋には小さな灯り。明かり取りの窓も暗い。時計を見るともう7時でした。

刑事さんの船で陸地まで送ってもらって帰りついたのは午後3時頃だったんです。あ、刑事さんの船は上から当たってる光と同じ光を反対側から発するようになっていて、人の目に見えにくい仕組みになってたんですって。黒い穴と思ったのが出入り口だったの。中は暗くて、あたしにはほとんど何も見えませんでしたが。

あたしと一緒にさらわれた二人はマゼランが人目に付かないように海岸脇の林に運びました。マゼランが小さな装置を彼らの頭にあてて、刑事さんからもらった解毒剤を注射しました。あとは陰で見ていたのですが、目覚めた二人は何も覚えてなくて、海で遊んでたはずなのになんで林の中にいるのか、不思議がりながら帰っていきました。

パパの話によると海岸であたし達がさらわれた直後、マゼランがガスを撒いて、そのせいで何が起こったのかを正確に言える人はいなかったそうです。パパはマゼランに庇われたから大丈夫だったのですが、もちろん知らんフリをしてたんです。とはいえ海岸に怖い化け物が現れたという噂は消し去ることはできず、けっこう騒ぎになっちゃったみたいです。

パニック起こした人波に流されて足を捻って帰るのが遅くなったって、あたしの説明をおばあちゃんもおじいちゃんも普通に信じてくれました。さすがに水着破られちゃったのはなんとかごまかしました。マゼランの上着の下がハダカだってばれたら、別の意味で大変なことになってた気がします。特にパパ。
だからとにかくシャワー浴びたいって、バスに入ったのですがお湯に浸かったらすごく眠くなってきて、上がってすぐ寝ちゃったの。気づいたらこんな時間。

「陽ちゃん! 大丈夫か?」
下に降りたら、おばあちゃんが心配そうに近寄ってきました。
「うん。たくさん寝たからすっきりしちゃった」
「そうかそうか。良かった良かった。すぐごはんの支度しよう」
「あ‥‥。まだあんまり食べたい感じじゃないの‥‥」
「そうか。怖い目におうたからの。じゃあちょっとだけ」

おばあちゃんがキッチンに消え、あたしはTVに目を移しました。
〈‥‥なお海上で強烈な光を見たという目撃情報が何件も寄せられており、警察と海上保安庁、海洋生物研究所で、白波海岸での怪物の目撃情報との関連を調査中です。なお県内の海水浴場では、今回の調査結果がでるまで遊泳禁止の措置をとるものと見られ‥‥〉

ああ、宇宙人の船、例のすごい光線で壊したから‥‥。あれは気づいた人多かったよね。はあ‥‥。

でもこういう事件、自分の住んでいるところじゃなかったら聞き流して、そのうち忘れてしまうのかな。今までマゼランが関わったことで、気にもしなかったことがたくさんたくさんあるんだろうなって思いました。

「はい、おぞうすい。このくらいなら食べられるじゃろ」
「わー、ありがとう」
可愛い小鉢に入ったおぞうすい。ぞうすいってさっぱりしたオートミールって感じで大好き。一口食べたら、ふわっとしててあったかくて美味しくて。結局全部食べちゃった。

「そういえば、みんなは?」
「ガードマンさんは病院」
「え!」
「陽ちゃん連れ戻すまで色々あったみたいじゃな。ちっとだが脇腹押さえて顔しかめたりしてたから、行ってくれとわたしから頼んだ」

‥‥マゼラン‥‥。
そうだよね。いくら変身してたって、あんな‥‥。マゼラン、平気って言うから、なんにも考えないでずっと甘えてた。ごめんね。ごめんね、マゼラン。

「おばあちゃん、ありがとう‥‥。それで、パパやおじいちゃんは?」
「じいさんは町内会の集まりじゃ。こういう時はみんなで気をつけないといかんからな。モロさんはガードマンさんの帰りが遅いからって、見に行った。たぶん病院が混んでるんじゃろ」

まさか普通の病院には行かないよね。さっきちらっと聞いた、空にあるマゼランのお船に行ったんだと思います。パパはどこまでわかってるのかな。でもなんかおばあちゃん、ほくほくした顔をしてます。
「陽ちゃん、きっとこれはケガの功名じゃ。パパさんは、ケガしても陽ちゃん連れ帰ったあのガードマンさんのこと見直したに違いないよ」
「そうかなぁ。そうだったらいいけど‥‥。でも、パパがいいって言っても、マゼランがあたしを好きになってくれるか、わからないもの‥‥」
マゼランがあたしのそばにいてくれるのは、あたしがマゼランのエネルギーを持ってるからなの。だから‥‥。

「わからないってことは、まだガードマンさんに聞いてないんじゃろ?」
「‥‥うん‥‥」
「すべては直接その人と話をしてからじゃろう? 魔法使いじゃあるまいし、相手の考えてることなんて聞かなきゃわかりゃせん。わたしとじいさんぐらい長いこと一緒にいたって、やっぱりホントの所は聞かなきゃわからん。そんなもんじゃ」

「‥‥ママは‥‥ママがパパと一緒に行こうって決めた時はどうしたの?」
「ぷろぽーずはモロさんからだったようだが、あの子も二つ返事だったそうじゃ。こっちに相談も無しにいきなりモロさんを連れてきたからもう大騒ぎ。月子は物静かな子だがじいさん似の頑固者で、いやはや大変じゃったよ」
おばあちゃんはぜんぜん大変じゃなかったみたいに笑ってます。そして言いました。
「陽ちゃんは、どうしたい?」

あたしはマゼランと一緒にいたいんです。マゼランの声を聞いて、あのさらさらした大きな手に触れられて、厚くてあったかい胸に頬ずりしていたい‥‥

「マゼランの迷惑になりたくないけど‥‥でもマゼランと一緒に居たいの」
おばあちゃんがぽんぽんとあたしの手を叩きました。
「じゃあ決まり。当たって砕けろじゃ。何事もなるようになるし、なるようにしかならんて」
「‥‥うん」

がらがらと玄関の戸が開く音がしました。飛んでいくとパパとマゼランでした。
「陽子! もう起きて大丈夫なのか!?」
「もー、大げさなんだから。あたしはちょっと疲れちゃっただけだもん。それよりマゼラン、だいじょうぶ? 痛くない? 苦しくないの?」
「ああ。大丈夫さ、このくらい」
マゼランは優しく微笑みましたが、あたしはその顔を見てドキンとしました。なんだか寂しそうだった。それ以上に何か決定的なこと――それもあんまり嬉しくないこと――を言われそうな気がしたの。

おばあちゃんと約束した「当たって砕けろ」はやめにしとこうって一瞬思っちゃった。何も聞かないでおけば、少なくとも今は一緒に‥‥。

と、飾り棚の隅の紙袋が目に留りました。おじいちゃんからもらった星。マゼランに見せてあげようと思って忘れないようにここに置いたの。ちゃんとマッチもある。準備良すぎです、昨日のあたし。あたしは靴を履いて袋を手に取りました。
「マゼラン。ちょっとだけお散歩しない? おじいちゃんから星をもらったの」
「星?」
「花火の中に入ってる火薬の粒よ。燃やすととってもきれいなの」

何か言われそうだったのでわざとパパを見ないようにしていたのですが、パパがぼそっと言いました。
「行ってこい。そのかわり二度と陽子を危ない目に遭わせるな」
「‥‥はい‥‥」
マゼランがそう返事をして、あたしは思わずパパの方を振り返りました。でもパパはこっちを見もせずに家の中に入って行きます。こんなパパは初めてでした。



家を出て少しして、マゼランが「星ってどんなものなの?」と聞いてくれた時はちょっとほっとしました。聞きたいことはたくさんで、でも何をどう聞いたらいいのかよくわからなくて、でも黙っているのも苦しかったから。
星のことならおじいちゃんから教えてもらったので少しは説明できます。色の層の厚さがどの粒もそろってなければ同時にグラデーションに入れない。そしてそれをきっちり詰めないときれいに広がらない。マゼランはうんうんって聞いていてくれました。

海沿いの道に出て、マゼランがとんと堤防に飛び乗り、手を差し出しました。その手に引っ張られて堤防の上に乗り、砂浜に飛び降ります。雲のない空に大きくてきれいな満月がかかってます。でも砂浜には誰もいません。昼間の事件が解決したことを知ってるのはあたし達だけですから。
手をつないだまま、砂浜を歩きました。半歩前を歩くマゼランは、あたしの手を引く、というより、手を離すのを忘れているみたいでした。歩みはとてもゆっくりでしたが、その肩は無言で、あたしも声をかけられず、ただ心臓の音がやたら大きくなった気がして、空いてた右手で左胸を押え込みながら歩きました。

昨日の夜別れた休憩所まで来た時、マゼランが立ち止まり、手を離してこちらに向き直りました。あたしの顔を見つめるマゼランの瞳は、月の光を映して柔らかい金色。そして顔にはあの微笑み――すごく優しくて、でもいきなりふっと消えてしまいそうな、あの微笑みが浮かんでました。
「昨日言ったよね。ちゃんと話すって」
「うん」
「初めて会った日に、僕の部屋でチョコレート食べたの覚えてる?」
ああ、やっぱりあのチョコがそうだったのね。あたしが勝手に食べちゃったチョコ‥‥。あたしは黙って頷きました。

「あれは僕のエネルギー――燃料みたいなものでね。それが今君の身体の中に入っちゃってるんだ。地球の食べ物じゃないから消化されるわけじゃなくて、君の身体の中でずっと対流しつづけてる」
あのチョコを食べた時のことを思い出しました。口に入れるとふわっと溶けて、飲み込んだかどうかわからないような軽いあと口。甘くって、香ばしい感じの苦みがあって、でもぜんぜんしつこくなくて、いくらでも食べられるような‥‥。だから紅茶もないのについつい一枚丸ごと食べちゃったんだけど‥‥。

「キスをすると‥‥マゼランにエネルギーが戻るのね‥‥?」
「‥‥うん。‥‥ごめん。これしか方法がなかったんだ。エネルギーの性質上、少しずつしか移動できなくて‥‥」
「エネルギーがないと‥‥、変身できないだけじゃなくて、あんなふうに、動けなくなっちゃうの?」
「ああ。普通の生活ならともかく、戦闘になるとちょっとね。代わりのエネルギーが間に合ってないんだ」

昨夜の少し長いキスでも、あんな戦いになるとエネルギーを使い果たしてしまうってことです。そうしたら、マゼランは‥‥。あたしは‥‥マゼランの命を食べてしまったようなものなのです。でもマゼランは微笑んで言うんです。
「でも、君の身体には何の害もないから心配しないで‥‥」
「あたしのことより自分のこと心配してよ! 全部あたしが悪いのに! エネルギー無かったら、マゼラン大変なんだよ? だったら早く返さないと‥‥」

‥‥早く‥‥。
早く‥‥?
もしあたしの中のエネルギーが全部返ってしまったら、マゼランとは一緒にいられないの?

「ごめん‥‥。そうすべきだったんだろうね。お父さんにもさっき言われたんだ」
「パパに?」
「チョコレートに理由があるのかって聞かれて正直に話した。そうしたら君からエネルギーを早く取り出して、できたら君の‥‥僕に関する記憶を消して欲しいって」
「‥‥そんな‥‥」
パパが心配してるのは分かります。でもマゼランに会えなくなるなんて‥‥ううん、マゼランのこと忘れてしまうなんて‥‥あたし‥‥いや‥‥。いやだ‥‥。‥‥でも‥‥。

「大丈夫。難しいことじゃない。少し時間はかかるけど怖いことはなんにも無い。君が眠ってる間に全部終わるよ。エネルギーを取り出しながら、僕というキーワードで君の記憶を調整する。君はアメリカから引っ越してきた時、誰にも会わなかった。花火に付き合ったボディガードもその時だけの人間だ。半年間一人暮しを満喫して、お祖父さん達の家に来て、充実した大学生活を‥‥」
「マゼラン!」
優しい‥‥でもどこか張り付いたような笑顔で話し続けるマゼランをあたしは遮りました。
「マゼラン‥‥」
彼の上着の襟元を両手で掴んで、その顔を見上げます。マゼランの顔からすっと笑顔が消え、黙りこくった口元がわななきました。それをぎゅっとかみしめると、彼はあたしから視線を逸らしてしまったのです。

「マゼラン。あたし、あなたのこと好き。だから一緒にいたい。マゼランのこと忘れたくない‥‥。でも、エネルギーを返さなきゃいけないのはわかってる。‥‥そうしたほうがいいなら、あなたの言うとおり‥‥‥‥」
喉元に何かこみあがってきて言葉が出なくなりました。マゼランの胸に額をつけてこらえようとしましたが、涙が抑えられません。マゼランが肩をそっと撫でてくれました。

ちゃんと言わなきゃ。これだけは、ちゃんと聞かなきゃ。
あたしは顔を上げて、涙を通してマゼランの瞳を見つめました。
「そうした方がいい? あたしがマゼランのこと忘れて、関係なくなって‥‥。その方がマゼランのためになる? マゼランは、そうしたい?」

マゼランはじっとあたしの顔を見ていましたが、ゆっくりと、とてもぎこちなく首を左右に動かしました。
「そうしたくないよ‥‥」
もう微笑みはなく、悲しそうな表情でした。あたしの肩に置かれた手に力が入り、マゼランはもう一度はっきりと首を横に振りました。
「君の記憶を奪いたくない。この二週間が、僕にとってどれだけ新鮮で心地よい時間だったか僕には表現できない。できることなら、このままずっと君と一緒に過ごしたいよ。でも‥‥。君がエネルギーを持ってる間は特別だって、ずっと言い訳してきたけど、地球人に僕の存在を知られることは禁じられてる。僕は今の自分の判断に自信が無いんだ。昨日も奴らの船にストリギーダ人が捕まえられてると知った瞬間、それを助けなきゃと思った。それが結果的に君をあんな危険な目に遭わせた。昔の僕だったら彼が乗っているって知ってても、命令通り船を破壊してただろう」

マゼランはまるで謝るように俯きました。
「君のことも同じだ。早くエネルギーを回収して君から記憶を奪う‥‥。ごく簡単で順当な手段を、僕は思いつかなかった。いや思いつかないようにしてたんだと思う。少しでも長く、君と一緒に過ごしたくて。だから‥‥うわっ な、なに、陽子?」

あたしは手を伸ばしてマゼランの頭をぎゅっと抱き寄せてました。

マゼランもあたしと一緒に居たいって思っててくれたんです。マゼランも‥‥!

嬉しいです。ずっと一緒にいられないのは悲しいけど、マゼランもあたしと同じ気持ちなんて‥‥すごく嬉しい‥‥。

すごく強くて何でもできるけど、ずっと一人ぼっちだったマゼラン。
いつも人のことばかりで、自分のことは後回しにしちゃうマゼラン。
そんなマゼランが、初めてこうしたいって、言ってくれた‥‥。

あたしは今気がつきました。マゼランのそばにいられたら嬉しい。でもそれ以上に、マゼランが幸せな気持ちになることが嬉しいのです。たとえちょっとの間でも、マゼランが楽しかったり幸せだったら‥‥。

ちょっと堅めのマゼランの髪に手を回したまま、あたしは言いました。
「じゃあ、今まで通りに一緒にいよう? あたしの中のチョコレート返し終るまで。せめてそれまで」
「で、でも、僕と一緒にいたらまた怖い目に遭うかもしれないよ! 今みたいな調子だと三ヶ月はかかる‥‥」
「怖くなんかない。マゼランと一緒なら。マゼランのこと好きなの」
「でも‥‥」

あたしはマゼランの頭を放してあげて、マゼランの手を取って、その顔を見上げました。
「マゼラン、"光の羽根"さんをちゃーんと助けてあげたよね。マゼランの判断、間違ってなかったよね」
「でもそれは結果論で‥‥」
「難しいこと言っちゃだめ。"光の羽根"さんも刑事さんもとっても喜んでたでしょ」
「まあ、それはそうだけど‥‥」
「マゼランが色々悩んだり頑張ったりしてくれた結果の結果の結果の2400年分の結果で今の地球があるんでしょ。そして今の地球はあんな怖い人に襲われたりしてないもの。だから大丈夫なの。マゼランの判断は大丈夫なの。だから一緒に居よう。ね?」

月の光の中で、マゼランの顔が泣き笑いみたいに歪みました。今度ぎゅっと抱きしめられたのはあたしでした。今一緒にいられることの幸せと、ずっと一緒にはいられない寂しさが心にあふれてくるのを感じながら、あたしはマゼランの言葉の響きを全身で受け止めてました。

「わかった。一緒にいよう‥‥」

あたしの中の魔法が無くなるまで。その時に何が起こるのかはもう考えないことにしましょう。だってあたしを包む力強さと鼓動と温かさが、今のマゼランの気持ちを伝えてましたから。

2400年ひとりぼっちで過ごしてきたネッシーさんは、少なくとも今、幸せな気持ちです。

 * * *

「陽ちゃん、忘れ物はないか?」
「大丈夫。それにおばあちゃん、あたしもう日本にいるんだし、またお正月もくるから」
「ああ、そうかそうか。そうだったの。じゃ、ガードマンさんもお元気で」
「はい。いろいろありがとうございました」

翌朝。まだ四時ですが、アパートメントに帰るので慌ただしいです。日本ってほんとに道が混むから。
パパの帰国の飛行機が明日の朝じゃなきゃもうちょっとゆっくりしてられるのですが、パパのお仕事も忙しいので仕方ありません。おばあちゃんが早くから用意してくれたおみそ汁と可愛いおむすびを美味しく頂きました。

じゃあ出発と立ち上がったところで、朝から静かだったおじいちゃんがパパの前に立ちふさがりました。少しもじもじしたあとで、意を決したように言います。
「あー‥‥。ミスタ・モロ・ジョーダン」
「はい?」
「その‥‥あんたがどうしてもと言うなら、その‥‥。花火を、作らんでもない‥‥」

パパが固まりました。口が何度かぱくぱくして、やっと言葉が出てきました。
「た、太堂さん‥‥本当ですか‥‥?」
「武士に二言はないわい。作るといったら作る!」

「‥‥あ、ありがとう、太堂さん! で、でもどうして急に‥‥?」
「うるさい。月子が望んでるっていったのはあんただろう! ‥‥わしだって、わかってたんだ、月子が、何を考えてたか‥‥あんたが‥‥どれだけ月子を思ってたか‥‥‥‥」

おじいちゃんがぷいっとそっぽを向いた隙に、おばあちゃんがVサインを送ってきたので、あたしも両手でVサインを作って返しました。やった♪ やったね♪

「ありがとう、太堂さん‥‥。私は本当に‥‥‥‥」
あ‥‥パパ‥‥。パパが泣いちゃった。本当に嬉しかったのね‥‥。

「馬鹿者! 男のくせに泣くな! いい年してみっともない!」
「‥‥すみません‥‥」
「それはそれとして、あとはそこの警備員だ!」

警備員って誰?と思ったら、おじいちゃん近づいたのはマゼランでした。
「あんたはずっと陽子の警備員でいるのかね?」
「え‥‥! あ、その‥‥」
「ああそうか。わしのバカ息子が依頼をしないとだめなんだな。こら、この若いのと来年もずっと契約しろ」

パパの口はまたあんぐりです。
「なっなぜいきなりこのうちゅ‥‥うつけ者が関係してくるんですかっ!?」
「昨日の夜、星についてこいつの言った感想を聞いてなかったのか? 今日日ここまでの動体視力と注意力と記憶力のある奴はめずらしい。ちょっと工房で‥‥」

あーあ。昨日の夜、誰もいない海岸で星を燃やして、マゼランほんとに楽しそうに見てたから。帰ってからおじいちゃんにどうだったって聞かれて、素直にしゃべっちゃったのよね‥‥。パパはもう必死です。
「駄目です! こいつはその、色々と問題が‥‥」
「何が駄目なんだ! これだけ若ければ寄り道してるヒマはあるだろう。ちょっと花火を作ってみる気はないか」

目を丸くしていたマゼランが、ふわっと笑って言いました。
「済みません。でも僕は来年は‥‥日本に居ないので‥‥」
「‥‥そうか‥‥」
がっかり顔のおじいちゃんに向かって、マゼランは手を差し出しました。
「でも‥‥そう言って頂けて嬉しかったです、太堂さん。どうもありがとう」
おじいちゃんはマゼランの手を握りました。
「礼を言われるスジアイはないが。とにかく陽子のことをよろしく頼む」
「はい」

マゼランの手を離したおじいちゃんは、今度はパパに向かって、ぎこちなく、でも自分から手を出しました。
「連絡を待ってる」
パパは嬉しそうにその手を握り返しました。おじいちゃんとパパが握手するの、初めてかもしれません。
「はい。近いうちに必ず。たぶんまたこちらに伺います」

あたしはいつも通りおばあちゃんにハグ。
「おばあちゃん、またね」
「はいはい。寂しくなったらいつでも電話しなさい」
おばあちゃんがあたしの耳元でこっそり言いました。
「ガードマンさん、海外に行ってしまうって、本当なのかい?」
「うん。でもだいじょうぶ。その時また考える。本当にありがとね」



車に乗り込んだあたしはおばあちゃん達の姿が見えなくなるまで手を振っていました。来年このお家に来た時、あたしはマゼランと一緒にはいないと思います。もしかしたらマゼランのこと、何も覚えてないかもしれない。そう思ったらちょっと悲しくなりましたが、あたしは決めたのです。

「パパ、良かったね」
隣のパパの手を握ったらパパは無言で頷きました。パパの願いは叶ったので、帰ったらあたしのお願いも話さなきゃ。マゼランと三ヶ月だけお友達でいますって。今言うと帰りの車の中が大変なことになっちゃいますから。

大きな富士山を見ながら、どんな風に言おうかなぁとか考えていたら瞼が重くなってきました。昨日は夕方にお昼寝しちゃったし、マゼランとあんな話もしたし、夜はよく眠れなかったの。

「君も少し眠ったら?」
静かなマゼランの声に隣を見たら、パパがすうすうと寝息をたててました。あたしは小声で言いました。
「ごめんね、マゼラン、昨日、あんなに大変だったのに、また運転してもらっちゃって」
「平気だよ。こんなのごく普通のことで‥‥」

言葉が途切れたのでちょっと姿勢を変えてルームミラーを見たら、マゼランは微笑んでいるようでした。
「どうしたの、マゼラン?」
「いや。やっぱり君と一緒に居るのは、いいな」

あたしは身を乗り出してマゼランの肩に頬ずりし、マゼランはハンドルからちょっとだけ片手を放してあたしの髪を撫でました。

この一瞬一瞬に。マゼランからもらってる幸せと同じだけ、マゼランに幸せをあげられますように。
その先にあることを怖がらずにいられますように。

車の振動に埋もれるように眠りにつきながら、あたしはそう神様にお願いしてました。

 (おしまい)
2007/4/1

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