スタージャッジ 第2話
(第1話へ) (1) <2> (3) (4) (あとがき) (第3話へ)  (一覧へ戻る)

「あんたらは花火のことなんぞ、なんもわかっとらん! アメリカ人に見せる花火はウチには無いわ!」

あーあ。とうとうおじいちゃんが怒鳴りだしちゃった。朝食の後、パパが花火を使わせてくださいってお願いしたら話がどんどんすごくなっちゃって。パパの根性はほんとすごいと思うけど、おじいちゃんの頑固さが一枚上手なのよね‥‥。あたしはおばあちゃんに引っ張られてキッチンに避難中です。

「太堂さんは、日本の芸術品をもっともっと広めたいと思わんのですか?」
「別にそれに反対しとりゃせん。そーゆーことなら他所へ行け、他所へ!」
「私は太堂さんの花火に惚れ込んどるんです。あのグラデーション。鮮やかさ。それらが寸分の狂いも無く開花する。丁寧に作られた本物だからこその見事さだ。どうか使わせてください」
「はん。そんなもの分かる客がどれだけくる。径と音のでかさだけありゃ十分だ。あんたに使わせる花火なんか無い!」
「No! 私はどうしてもあなたの花火が使いたい。それを月子だって願ってるはずだ!」

怖いほどの沈黙のあと、バン!って音がして、床が抜けちゃいそうなほどの乱暴な足音がどんどんどんと玄関の方に移動中。そして、がらがらがきいっっ!て乱暴な引き戸の音がしました。シーンとした家の中にその余韻がまだ残ってます。

キヨコおばあちゃんがふーっと溜息をつき、あたしに言いました。
「陽ちゃん。ちょっと廊下と玄関が壊れてないか、見てきてくれんか? 戸も閉めてな」
「はい」
おじいちゃんも相当の力持ちですが、さすがに床に穴を作ったりはしてませんでした。でも玄関の引き戸は‥‥レールがズレちゃって閉まらない〜。もー、おじいちゃんたら‥‥。これはちょっとパパに直してもらわないとだめでしょう。

もちろんあたしはおじいちゃんをキライじゃありません。小さい時から遊びにくるたびに可愛がってもらいました。あたしの前では一生懸命パパとケンカしないようにしてるのも知ってます。パパがあたしを愛しているのと同じように、おじいちゃんも月子ママを愛していたのもよくわかります。でも二人とも月子ママを好きだったんだからもうちょっとなんとかならないものでしょうか。そこんとこが問題だとあたしは思うのです。

そーっと居間に戻ると、キヨコおばあちゃんがパパにお茶を出して慰めてました。
「どうも申し訳ない、清子さん。月子の名を出すつもりじゃなかったんですが」
「いいじゃないですか。貴方の言ってることは正しい。もし月子が空に居るならじいさんの花火を貴方が使うことを望んでるに決まっとる。じいさんもそれがわかっとるから飛び出していった。まあ負けを認めたようなもんですの」
おばあちゃんはふぁっふぁっと笑って、パパの肩をぼんぼんと叩きました。

「なあ、モロさん、月子は確かにあの世に逝ってしまいました。それが誰かのせいというなら、あの子に関わった全ての人間を責めなきゃならなくなる。中でも一番悪いのはわたしかの?」
パパがびっくりしておばあちゃんの方を見ました。
「なぜですか?」
「あの子は生まれつき身体が弱かった。そう産んだのはわたしだから」
「清子さん、それは違う。そんなことを言い出したら、ずっと先祖をさかのぼって悪者捜しをしなければいけなくなります」

おばあちゃんはにっこり笑いました。
「ありがとう、モロさんや。わたしもそう思い至って悪いと思うのは止めた。だから貴方もわたしらに気兼ねするのはやめなされ。じいさんだって本当はわかっとる。わかっていても『月子がアメリカに行かなければ死なずにすんだかもしれない』という妄想に囚われとるんじゃな。だからつい貴方が悪いような言い方をしてしまって。許して下され」

なんかね、おばあちゃんの言葉はいつもじーんと来ます。こんな大人しく頷いてるパパなんてあり得ないです。パパのママの場合はどっちかっていうとパパの方が大人みたいで‥‥。あ、メリンダおばあちゃんのことだってあたしは大好きですが。
キヨコおばあちゃんは、静かーにしゃべってるだけなのに強い! パパもおじいちゃんも絶対勝てないの。月子ママがパパと結婚できたのだって、たぶんおばあちゃんが味方だったからだと思ってます。

でもそろそろ切り上げましょう。おばあちゃんもお仕事あるし、あたしも行きたいトコがあります。
「ねえ、おばあちゃん。おじいちゃんが開けた玄関の戸、閉まらないの」
「あれ、まあ。だいぶ建て付けが悪くなってきとるから。もう、しょうがないのう」
「どれ、私が見ましょう」
「じゃ、パパ、ドアが直ったらお買い物付き合って」
「どこに行きたいんだ?」
「シュガー・ドリーム!」

 * * * 

シュガー・ドリームはおじいちゃんの家からバスで行った商店街にあるお菓子屋さんです。いろんな砂糖菓子を売っているのですがチョコレートも美味しいの。いくらママの国とはいえ、あたしはパパみたいに長いこと日本で暮らしてたわけじゃないから、普通の町を歩く時はパパと一緒の方が心強いです。

で、あたしのためにパパが買ってくれたチョコやお菓子とは別にあたしがお小遣いで買ったチョコ。ちゃんと青いリボンをかけてもらいました。パパは機嫌悪いです。
「誰のためのチョコレートだ。あの宇宙人だな」
「そうよ」
「なんでアイツにそんなものやる必要があるんだ!」
「お返しなの。弁償っていうのかな」
「弁償?」
「引っ越してきた日、マゼランのお部屋にあったチョコレートを間違えて食べちゃったの。ホテルのお部屋のお菓子みたいに、てっきり大家さんのプレゼントだと思って‥‥」

「宇宙人のチョコを食べただと?」
「変な言い方しないで。マゼランのお食事、あたし達と同じじゃないの。気にしないでって言われたけど、本当は大事な物だったみたいなの。手作りチョコだと思うんだけど、ものすごく美味しくて‥‥。あたしじゃあんな美味しいの作る自信ないから、これでお返しするの」
パパは黙って前見て歩いてます。うわ。やな感じの沈黙だな〜。パパは口数が少ないときの方がやっかいなの。でもマゼランのことに関して言えば怒られるようなコトはしてませんよ。確かに最初にお部屋を間違えたのとチョコを食べちゃったのは悪かったので、だからこうしてお詫びを‥‥。

パパがぼそっと言いました。
「陽子。お前、あの男だけは好きになるなよ」
「え? だってもう好きになっちゃったわよ、あたし」
パパが立ち止まってあたしの顔を見ると、ふうっと溜め息をつきました。
「相手は人間じゃない。宇宙人なんだぞ」
「そうねえ。歳も2400歳だって言ってたし‥‥。ねえ、パパ。どうしたらいいと思う?」
「簡単だ。この旅が終わったらあのアパートメントは引っ越しだ。あいつにはもう会うな」

「もー、なんでそーなるの? 『好きになっちゃった』って言ったでしょ。過去形よ、過去形。あたしの聞きたいのはマゼランになんて言ったらわかってもらえるかなってことなの。パパはママになんて言ったの? パパ達も違う国の人だし、状況としては似てるよね」
「全然似とらん!」
パパが大きな声をあげてからあわてて口を押さえ、小声で言いました。
「あとは帰ってからだ。外で話すようなことじゃない。じゃあママにあげる写真でも撮りに行くか」

日本に来るたびにパパは写真をいっぱい撮ります。ママが子供の時から住んでいたこの町では特にたくさん。パパはママのかわりに「日本の様子を見て」いるのです。いつもだったらあたしも写真を撮ったりするのですが、今日は‥‥

「あたし、いい。帰る」
「どうしたんだ。それじゃお前が撮れないじゃないか」
「お仕事で来る時はいつも一人でしょ」
「なんだ、どうしたんだ?」
「どうもしないよーだ。帰って日本語の勉強したいだけ」
うそです。どうも大ありです。パパは今までも男の人と話してるとうるさかったのですが、好きな人は別だと思ってた。だって好きな人と話しちゃだめって根本的にヘンでしょ? 動物が何の為におしゃべりできるようになってるか、ちゃんと考えて欲しいです。

「一人で帰れるのか? やっぱり私も一緒に‥‥」
「帰れるわよ。パパこそちゃんと写真撮ってきて。じゃあね」
あたしは手を振って急ぎ足でバス停に向かいました。ごめんね、パパ。それにママも。でも今パパと一緒にいたくない‥‥。

 * * *

家に帰ったらお昼近くで、おばあちゃんとひやむぎを作って食べました。おばあちゃんがマゼランのことをいろいろ聞いてくるので嬉しくて、ついたくさんお話ししちゃいました。もちろん内緒のことは内緒ですよ。おばあちゃんもおじいちゃんもマゼランのことをパパがお願いしたボディガードって信じているので助かります。

マゼランは地球人としての仕事は持ってないので、宇宙から誰かこない限りは暇なんだと言ってました。むちゃくちゃ強いし、英語も日本語もぺらぺらだし、なんでもできそうなんですが、地球人同士のことには決して干渉しちゃいけなくて、だから地球人に知り合いはいないんだそうです。

‥‥じゃあ、なんで? なんであたしとはこうして一緒に居てくれるの?

あたしはマゼランが好きです。誰かのことがこんなに気になるのは初めてだし、これはきっと「大好きっ」てことです。で、自分のことはわかるからいいとして、問題はマゼランがあたしをどう思ってるかなんですが‥‥。
おばあちゃんは例によってふぁっふぁっと笑ってます。
「少なくともガードマンさんは陽ちゃんのこと、きらいじゃないと思うよ」
「ほんとにそう思う?」
「表面だけの親切は端から見とったらすぐわかるよ。あのガードマンさんはいつも陽ちゃんを見てるのさ。仕事だからじゃなくて本心から陽ちゃんのことを気にしとるんじゃないかな」
「だったら嬉しいけど‥‥」
「陽ちゃんらしくもない。好きなら好きってはっきり言えばよい」
「うん‥‥。そうね。勇気出して言ってみるね」

玄関の引き戸が開く音がしました。マゼランかと思って走っていったらおじいちゃんでした。明るいネイビーの作務衣(昨日教えてもらいました)を着たおじいちゃん。見た目はね、目がぎょろっとしてて、眉毛がバサバサ太くて、白いおひげを大事にしてて、映画に出てくるおじいちゃんみたいにかっこいいんですよ。で、そのおじいちゃん、今はちょっぴり恥ずかしそうな顔してます。今朝のこと悪いと思ってるの。こういう顔するから、おじいちゃん、好き。あたしは笑っておじいちゃんの手をひっぱりました
「おじいちゃん、おかえりなさい。ひやむぎ食べる?」
「ああ。その、お父さんは‥‥」
「パパはママにあげる写真を撮ってるからまーだ。さあ早く手、洗って!」

あたしはおじいちゃんにあげようと思ってたものを部屋に取りに行きました。パパがいない今が好都合です。ダイニングに戻ったら、おばあちゃんがゆでたばかりのひやむぎを用意してました。
「ほら、陽子」
おじいちゃんがあたしに小さな紙袋を二つくれました。中を見るとチョコボールのような丸い粒が十個ぐらいずつ。あと導火線。
「わーい! 星だー!」
「こっちのは三重でこっちのはきらきら星だ」

星というのは花火に詰める火薬の粒です。いろんな薬が入っていて火をつけるといろんな色の炎を出して燃えます。三重は三色グラデーション。きらきら星はそれこそきらきらする金属がはいっているのです。
さまざまな種類の星がきれいに広がるようにするためには、ぎゅうぎゅうに詰め込まないといけません。だから形の悪い星はジャマになるので花火に入れてもらえないの。でも直接燃やすととってもきれいなんですよ。あたしは星が燃えるのを見るのが大好きなので、おじいちゃんは時々こうしてペケになった星をくれるのです。あ! でもこれ企業秘密ですから内緒ですよ。いつもパパとこっそり燃やしてそれで終わりです。

おじいちゃんは朝家を飛び出したあと、工房の様子を見にいってたようです。他の人も来てたそうです。昨日の夢菊は二番だったそうですが、作者はまだ若い人だそうで先が楽しみと喜んでました。うーん、さすがにおじいちゃんとおばあちゃんの会話を全部聞き取るのはむずかしいです。

「おじいちゃん、これ、受け取って?」
おじいちゃんが食べ終わった頃を見計らって、あたしは小さなアルバムを出しました。
「なんだ?」
「写真なの。開けてみて」
「わかった。はいすくるとかの卒業写真だろう。どれどれ」
最初のページを開けて、おじいちゃんは固まりました。そこにあったのはパパとママの結婚式の写真だったからです。おじいちゃんがあたしの顔を見たので、あたしも黙っておじいちゃんを見つめ返します。おじいちゃんは諦めてアルバムのページをめくり始めました。

家にたくさんあるママの写真のなかで、あたしが大好きな写真を選んできたものです。パパが撮ったのやパーティや旅行先などで二人で写ってる写真も。あたしの知らないパパとママですが、どの笑顔もとてもすてきです。

「ね、おじいちゃん。ママ、幸せそうでしょ?」
おじいちゃんは無言です。
「あのね、おじいちゃん。パパのこともう怒らないで欲しいの。ママはパパのことがすっごく好きだったと思うの」
「‥‥‥‥」
「アメリカに来たこと、絶対後悔してなかったと思うの。パパと一緒にいられて幸せだったって」
「‥‥わかっとる‥‥」

おじいちゃんはエプロン姿のママの笑顔をそっと撫でると、アルバムをぱたんと閉じて手に持ちました。
「ちょっと寝るぞ」
「はいはい」
どかどかと出て行ったおじいちゃんを見送ったおばあちゃんがあたしを振り返ってVサインを出したので笑ってしまいました。

そう。ママはパパが大好きで、パパもママが大好きで、だからママはパパについて他所の国に行きました。もしマゼランもあたしを好きになってくれるなら、あたしだってついて行きたい。

 * * *

夜になってもマゼランは帰ってきませんでした。おじいちゃんとおばあちゃんにはお仕事が長引いてると言っておきましたが、ちょっと心配になってきました。なので夕食のあと、こっそりと堤防のところまで出て見ました。
何度目になるか、髪からバレッタを取ってみましたが、使う勇気が出ません。マゼランはこれで話せると言いましたがどんな感じになるのかピンとこない。普通の人じゃないからかえって邪魔して大変なことになったらと思っちゃって。

空にはうっすらと雲がかかっていてお月様もうすぼんやりしてます。まあもうすぐ真ん丸になりそうだからけっこう明るいですが。あと堤防沿いは街灯がたくさんあるのよね。海の方を見ると回り込んでる陸地の明かりや遠くの船がきらきらしてとってもきれい。浜にはカップルのシルエットがいくつかあって、ちょっぴりうらやましくなりました。

浜には太い柱と大きな屋根の休憩所がぽつぽつとあります。片隅だけ壁、というか仕切部屋みたいになってて、着替えたりもできます。
ぼうっと見てたらちょうどあたしの右手前方の屋根の柱の向こうで何か動いた気がしました。あっと思う間もなくあたしは堤防によじ登ってました。ぽんと飛び降りてそちらに向かって走ります。砂が重くてまだるっこしい。柱に寄りかかって座り込んでいた人の前に立った時は、息がはあはあ言ってました。

「陽子? ああ、ごめん。ぼうっとしてた。どうしたの?」
マゼランはちょっとだらしなく足を投げ出したまま、あたしを見上げてそう言いました。淡い光の中にいつもどおりの優しい顔があります。でも、声も‥‥とにかくマゼラン全部が、すごく疲れた感じでした。

「どうしたのはこっちのセリフでしょう? 遅いから心配してたのよ」
怒ってるみたいな声になっちゃって自分でも驚きです。でもマゼランは立ち上がりもしません。あたしはひざをついてマゼランの顔を覗き込みました。息もはあはあ言ってるし、おかしい。いつものマゼランじゃありません。
「まさか‥‥ケガしたの!? だいじょうぶ!?」
「‥‥いや‥‥大丈夫‥‥。ただ‥‥」
マゼランはそう言ったきり、あとはただ黙ってあたしの顔を見ています。

「ねえ、ホントにどうし‥‥きゃっ‥‥」
いきなり手を引っ張られて、あたしはマゼランの胸の中に転んだみたいになりました。びっくりして顔を上げたら、すぐそばにマゼランの顔がありました。大きな手があたしの髪にふれ、マゼランがちょっと首をかしげて、あたしは自然に目を閉じました。滑らかな唇があたしの唇に触れます。触れ合った箇所から温かさが広がってくるような不思議な感じ。みんなこうなのかな? マゼランとキスすると、ほーっとなっちゃう‥‥

今までで一番長いキスに思えました。でも夜の海岸の雰囲気に呑まれただけかもしれません。ずーっとこのままだったらいいなと思ったけど、マゼランの唇はそっと離れていきます。で、次の瞬間、あたしはぎゅっと抱き締められてました。自分の鼓動が速くなったのがはっきりわかります。マゼランの胸に押し付けられた耳に胸の中で響いてる声が聞こえて、頭の上からの声と共鳴して、夢の中みたいでした。
「ありがと‥‥」
「え‥‥?」
「いきなり、ごめん‥‥」
「なぜ、あやまるの?」
「だって‥‥」
あたしはまた顔を上げて、マゼランを真っすぐに見つめました。今言わなきゃって思いました。

「あたし、マゼランのこと大好きよ」
マゼランが柱から身を起こしました。目が真ん丸になってました。
「好き‥‥? 僕を?」
「うん。あたしはマゼランのことが大好き。だからキスしたぐらいであやまっちゃやだ」
「‥‥陽子。‥‥僕は‥‥」

マゼランがぴくりとして胸に手をやります。もー、マゼランに仕事を言い付ける悪いモバイルだわ。ドラマの女優さんみたいに引き留めたいとこでしたけど、お仕事の邪魔は絶対にだめです。あたしはマゼランの上からのきました。立ち上がって建物の陰に行ったマゼランの声は低く沈んでいました。バレッタが拾った言葉には「失敗」といった単語もあって、あたしはいったい何があったのか必死で理解しようとしてました。

〈最初から拉致された生命体を見殺しにする気だったんですか!?〉
いきなり大きくなった声にあたしは窒息しそうになりました。マゼランはすぐにまた声を落としてしまい、何を言ってるのか分からなくなったのですが、声の調子は苦しげで、聞いているのが辛いほどでした。

パパがお仕事で苦労してる時のことを思い出しました。パパだって電話で怒鳴ってたり、あとはむちゃくちゃお酒に強いのに酔っ払って帰ってきて色々ぶつぶつ言ってることとか、たまにはあるんです。そんな時はあたしも胸が詰まったみたいになります。それでもパパのことは最近ちょっとずつわかるようになってきましたが、マゼランの場合は何があるのか想像ができないので余計心配です。この間のおばさんみたいに優しい宇宙人ならいいのですが、今度来てるのがもっと悪質な宇宙人だったら‥‥。

それでも最後は普段どおりの落ち着いた声音に戻ってきて、了解しました、という言葉とともにマゼランが出て来ました。あたしの顔を見ると手をあげてあたしの頬に触れ、下まぶたのあたりをすっと拭いました。あたしはびっくりして、あわてて両目をこすりました。
「あれ、やだ、もう‥‥」
知らない間に泣いてたみたいです。マゼランは暗いとこでもよく見えてるんだったと思ったら恥ずかしくなって、俯いてしまいました。

そうしたらマゼランがあたしの手をとって両手で包むようにすると、膝をついてあたしを見上げました。
「本当にありがとう。君の所に行かなきゃならなかったのに、自分がずるくて嫌になってここに座り込んでた。そうしたら君が来てくれたんだ」
「ずるい‥‥?」
「この件が片付いたらちゃんと話す。だから‥‥」
あたしの目からまたぽろぽろと涙があふれました。だって、こんな言い方するってやっぱり‥‥。マゼランが慌てたようにあたしの手を揺らして、どうしたの、って言いました。

「マゼランがあたしと一緒に居てくれるのは、やっぱり理由があったのね? マゼラン、あたしのこと、ほんとはきらいなのね?」
「きらいじゃないよ!」
マゼランがびっくりしたように言いました。
「君と一緒にいられる時間が‥‥とても大事だ。僕は誰かと一緒に居たことがほとんど無いから‥‥この気持ちをどう言ったらいいか‥‥よくわからないんだけど‥‥」
「え‥‥? 一緒に居たことがない‥‥? マゼラン、まさか、地球に来てから、ずっと一人だったの?」
「うん。僕達の仕事は普通そうなんだ」
‥‥マゼランが地球に来てから2400年‥‥。2400年‥‥ずっと一人で‥‥。そんな‥‥。

マゼランの顔がとても真剣になりました。
「陽子。僕が君に付きまとうのは確かに理由がある。きちんと話したい。僕がどうしたらいいのかも含めて。だから今の件が片付くまで、もう少し待ってて。お願いだ」
あたしはこっくりとうなずきます。あたしに出来ること、このくらいしかないなんて‥‥。でもマゼランはほっとしたように微笑みました。
「ありがとう、陽子。じゃあ、行くね」
「本当にだいじょうぶなの? 身体の具合、悪いんじゃないのね?」

マゼランが今度は大きくにっこりと笑いました。それはいつも通りの、お願いしたらなんでもやってくれそうなマゼランの笑顔でした。
「君と会えたから、もう大丈夫」
マゼランはもう一度ありがとうと言い、くるりと振り返ると走っていきます。その背中はあっというまに防風林の中に消えました。さっきの疲れてた様子が嘘みたいで、ちょっとは安心しました。

でも、マゼランがあたしのそばにいてくれるのは、あたしのことが好きだからじゃなくて‥‥。それはもちろん、何かあるんだとは思ってましたけど‥‥でも‥‥。

両手で唇に触れてみました。マゼランとの四回目のキスは、その前の三回とうってかわって、哀しい味を残してました。

2006/12/10

(第1話へ) (1) <2> (3) (4) (あとがき) (第3話へ)  (一覧へ戻る)
Background By フリー素材 * ヒバナ