スタージャッジ 第1話
(1) (2) (3) (4) (5) <あとがき> (第2話へ)  (一覧へ戻る)
★あとがき★

スタージャッジの初出は1979年の千葉東高校の文化祭。10分程度の予告編が全ての始まりでした。この時長谷川裕一先輩はすでに高校3年。翌年卒業した先輩はプロへの道を歩みつつ、なぜか母校の漫研の活動には参加して(笑)、文化祭までに30分の8mmセルアニメ作品を作り上げたのです。

スタージャッジは脚本、絵コンテはもちろん、かなりの原画と動画も長谷川先輩の手によるものです。絵コンテの描き方も、何コマ撮りにしたらどう動くのかとか、まったくなんのノウハウもない中、先輩が手さぐりで作っちゃったんですよ。周りの人間はただ言われた通りにやってただけ(苦笑)。先輩がよく粘土アニメで遊んでたのも覚えてます。あれで時間の感覚をマスターしてたんでしょうか。

絵の描ける人は原画や動画も描いて(信じられないでしょうけど、私なんか絵は描けないのに参加してたんです、漫研に!)、みんなでちまちまと動画をハンドトレスして彩色して。あ、でも後半のバトルシーンはほとんど先輩が動画まで描いてました。なぜか私、そのあたりばっかりセルにしてたんですが、もうイヤになった(爆笑)。だって大量にトレスして塗ってるのに、撮影すると数十秒なんだもん‥‥。夏休みに真っ黒なカーテンを引いた部屋に籠って1枚1枚撮影して、放送室借りてアテレコして、効果音作って‥‥‥‥いや、よくできたなぁ!!!

当時は120分のVHSやβのテープだって1本4,5千円した時代! 民生用のビデオカメラなんてありません(出てたとしてもコマ撮りはできなかったのでは)。8mmって現像しなきゃ見られないんですよー!(フィルムだからあたりまえ)。なのにたった10分現像するだけでお金かかるし、同じフィルムで上書き撮り直しもできない! ああ当時から考えると、コンピュータでアニメが作れる今は魔法のような時代です(笑)

さて恥ずかしながら私、陽子の声の担当でした(だからあの当時の映像はいつも耳をふさいで見ています(滝汗))、それで感情移入してたのかもしれませんが、先輩の描くマゼランが大好きでした。目や口元も、胸の厚みを感じさせる体つきも、ちょっと丸っこい感じの手も。あと先輩の漫画を読んでる時もそうなんだと思いますが、動くときの重心移動の感覚みたいなのが、なんかしっくりくるんですよ、自分的に。

でも8mmアニメスタージャッジの中で、私の心に一番残っているのは、プレオープニングでラバードの手下を倒したあと、マゼランがふうっとため息をつくシーンでした。まあ2000年以上、僻地惑星にたった一人でいたら嫌気もさすでしょうが、すごくマゼランが可哀想に思えたんですよね。
そこのところが何十年もずーっとひっかかっていて、で、今回ノベライズしたら、こんなになってしまった。。。。一人称で文章が浮かんだのもそのせいだったのかなぁ。でも長谷川キャラとは思えない弱さがマゼランに入っちゃった気がします。その点はごめんなさい。自分が女性だからそこらへんはダメですね。

当時はまだ「ビメイダー」という言葉はまだ無くて、マゼランは宇宙人のサイボーグって設定だったのですが、今回のノベライズにあたり先輩に許可をもらって、ビメイダーということにさせて頂きました。陽子のお母さんやお祖父ちゃんの話とか、エネルギーを急に取っちゃだめとかってのは「オリジナルで続きを書くぞー」というひそかな野望のために私が勝手に入れた設定です。

遊園地にラバードの手下が登場するところまではアニメのままですが、それ以降は大幅に脚色されています。当然、アニメ化する時のいろんな限界でストーリーが制限されてた部分はあって、そこから解放されたせいもあります。でも、アニメで見て楽しくても、それをそのまま小説にしてもうまくいかないんですよね。メディアの違い。当たり前ですけど改めて勉強させて頂きました。でも「考えてみると初めてなんだ。こんなに長いこと、他の誰かと一緒に過ごしたことは」等々の重要なキーワードはもちろんアニメのまま残ってます。


2013/1/31

(1) (2) (3) (4) (5) <あとがき> (第2話へ)  (一覧へ戻る)
Background By フリー素材 * ヒバナ