スタージャッジ 第1話
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〈ターゲットポイントまであと三十秒〉
黒い夜空に翔けあがった僕にヴォイスそっくりの声がささやく。それは着用しているサポートアーマーに装備された各種センサーと母船の探索結果の統合情報。ある意味僕自身の"思考"のハズなのに任務の時はなぜか彼女の声音で聞こえてくる。

〈艇外での活動個体十体まで確認。あと十四秒〉
眼下には延々とゴミの山。比喩じゃない。この星には完全な"廃棄物"がまだ存在する。地球人達は壊れた物質を原子レベルで再構成することも、エネルギーに変換する技術すらも、まだ持っていないんだ。

上空四キロメートル程度の上空に奴らの輸送艇が浮かんでいるのを、僕自身のセンサーにて確認する。形はまさに地球人の考える"空飛ぶ円盤"。少しひしゃげたボールに広めの縁をつけたような形だ。僕にとっても有り難いことに、地球のレーダーに対するステルス加工は万全。その上地球人の可視光周波数帯で電磁波の透過コーティングをしてる。受け取った電磁波を反射せず反対側に放出するから、電磁波的に透明になり、地球人からは"見えない"というわけだ。

そしてその直下。少し平らになった場所に見慣れた異形達がわらわらゆらゆらと仕事に励んでいる。こいつらムジカ星系スブール星の生命体フラーメ達‥‥。ラバードの作業員だ。ラバードは一番しつこく地球を狙ってる異星人なんだ。

「こらっ」
「ひええええっ スタージャッジだぁ!」
「やだよぉ! もう変身してるよぉお!」
飛び降りた僕に、フラーメ達はシャベルやジョウロのようなものを取り落として大騒ぎ。二種類の生物がいるように見えるが同じ種族だ。地球の雄と雌同様、二つの形態から子孫を残すことで環境に適合している。

「スタージャッジが現れたよぉ!」
「ラバード様に連絡してぇえ!」
「応援要請だぁ!」
「もっと降りてこーい!」
次々と輪唱みたいに喚いているのは、大きな目玉を一つだけ持った巨大な(地球人より頭一つ大きい)軟体動物。一応これが"雌"にあたる。身体の大部分は黄褐色。背中側は濃い緑でだいぶ堅い。通信機に向かって騒いでるのがいたが、このぐにゃぐにゃな身体の中にいろんなものをしまって(めり込ませて?)るんだ。ボディからは腕が二本出てる‥‥が、驚かせると増えたりするから手というよりは触手に近い。二本の足も申し訳程度にあるんだが、結局、身体全体をうぞうぞと動かしながら進む方が好きらしい。

雄のほうは雌より一回り小さいが、明確な手足を二本ずつ持っている。進化の過程で甲羅が変形し、柔らかい部分を包み込んで手や足や首などのパーツを形作った。頸部から上腕にかけてと腰部から上脚部は背中と同様に濃緑の外殻で覆われている。頭は横置きのラグビーボール状で、その両端が派手なオレンジ色の渦巻き模様。ここからコウモリのように超音波を出して周囲の状況を把握するだけで受光器官は無い。

惑星スブールは太陽からやや遠くてオゾン層が厚いため、こいつらは紫外線に弱い。だからこうして夜に活動する。でもあと1時間ほどで周囲が明るくなりだすし、人に見つかったら大変だ。早いところ退去させなきゃ!
「お前達! 今度は何をたくらんでるんだ!」
「タネを蒔いてただけですぅ!」
「蒔いてただけです〜!」
「持ってきたタネを蒔いてただけです〜〜〜」

種だって!? 大問題じゃないか! 見たら奴らの足元、妙な芽が出てるし!
「地球外植物なんか植えるな!! 自然な進化が妨げられるだろーがっっ!」
「だって、ラバード様が〜」
「ラバード様が〜」
「いいから、さっさとそれ持って帰れ! 全部ちゃんと抜くんだぞ。監視してるからな!」

フラーメたちに説教している僕はというと、ごついアーマーと防護マントを装着し、白いヘルメットの頭頂部には長いクレストが2本。これ、時にはアンテナになったり、色んな役割を果たす優れものなんだが、遠目には長い耳みたい。怪しすぎる生き物たちに囲まれた青いマントの巨大ウサギじゃ、楽しい夢にはならなさそうだ。

そうこうするうちに輸送艇の高度が下がってきて、そこからもう五体のフラーメ達が降りてきた。地上に居た連中とごしゃっと集まると相談を始める。
「どうする?」
「変身してるぞ」
「もう変身してるぞ」
「強いぞスタージャッジ」
「ああなってるともっと強いぞスタージャッジ」
そうそう。強いからね。さっさといい子にして帰ってくれ。
スタージャッジのサポートアーマーは宇宙連合の技術の結晶だ。エネルギー銃や簡易ソードの組み込まれた頑丈な鎧には精巧なセンサーがあちこちに配置されている。秀逸なドライブ機構のおかげでスピードも速い。アーマーを全体を覆う防護マントも天下一品だ。

フラーメ達はまだ相談してる。
「いや、でも、まずいだろ」
「怒られるだろ」
「ラバード様に怒られるだろ」
「これ持って帰ったら絶対ラバード様に怒られるだろ」
「どうしよう」
「どうしよう、どうしよう」
「そうだ、スタージャッジやっつけよう」
「やっつけろ!」
「やっつけろ、スタージャッジ!!」
おいおい!

うーん、フラーメは知能はあるし、学習もするんだけど、命令にはけっこう頑固に従うんだよな。
彼らはスブールの自然種を品種改良した生命だ。地球で言ったら家畜にあたるか。小型種はペットとしている人も多いと聞く。地球人にとっての犬と同じ感覚かな。ラバードは彼らに補助チップを埋め込み、簡単な会話ができるようにして部下として使っている。

そんな生物だから僕にとっての脅威は皆無だ。大変なのはどうしたらあまり傷つけずに静かにさせられるかってこと。成長しても未分化細胞を保持し続ける種なので外傷には比較的強いが、あまり手荒な真似もしたくない。でも長い付き合いの結果、雌は甲羅の中央上部、雄は頸部の甲羅の下端のあたりにピンポイントで打撃を加えると気を失ってくれることがわかってきた。

ということであっというまに十五体が地面に転がる。さっき通信機で輸送艇と話してた奴の身体から通信機を取り出して、ONにした。
〈きゃー! スタージャッジが通信してきたー!!!〉
〈もうダメだー!〉
当然、輸送艇からこっちの様子を見てたはずだ。フラーメ達のわめき声が聞こえる。

「今すぐ重力トレーラービームを降ろせ!」
〈そんなこと言って登ってくる気だなー!!!〉
〈違うって! こいつらを乗せるんだよ! 置いて帰ったらラバードからものすごく怒られるぞ? いいのか?〉
しばらくキャーキャーと騒いでいたが、そのうち船からトレーラービームが降ってくる。僕はビームの範囲内に意識の無いフラーメ達の身体を手早く放り込んだ。ぐったらぐったらと十五のボディが輸送艇に消えると、輸送艇は一目散に逃げていった。

よしよし。まあラバードはなんのかんの言ってフラーメを大事にしてるから助かる。フラーメも僕のことを怖がってはいるが、無駄にいじめないことはわかってるようだ。
不法侵入者の中には作業員を使い捨てにするような奴らも多いんだ。数体なら母船に確保して秩序維持省(地球で言う警察にあたる)に回収してもらうんだけど、できない時もあって‥‥。大量の地球外生命の痕跡が残っちゃうとすごくマズイから、仕方ないんだよな‥‥‥。‥‥ああ、ちょっと嫌な記憶が‥‥。忘れとけ。仕事仕事。

うっすらと白み始めた東の空。空が反射するわずかな光を浴びてつやつやした黒い芽がゴミの間からのぞいている。気のせいか、さっきより大きくなってないか? 根を残さないように気をつけて掘り起こした。とにかくえらく堅い。こんな植物あるのかな。

捜索範囲を広げてみたけど回収できた芽は三つ。それを防護ケースに入れる。万が一爆発してもこのケースなら問題ないだろう。これで任務完了。僕は緊急形態(エマージェンシーモード)を解除して、青いウサギから普通の地球人の姿に戻った。身体を覆っていたサポートアーマーがばらばらの原子になり、殆どが淡い光と共に空気中に散らばる。金属類その他のコア原子は体内にあるエントロピー・リミテイション・スティックに回収された。緊急形態は目立ちすぎるし、何よりエネルギーをやたら消費するんだ。


僕は未接触惑星保護省第二十八局所属スタージャッジ0079。地球人そっくりに作られた強化合成人間(ビメイダー)だ。未接触惑星保護省は法に則って星の自然な進化を見守り、保持することを目的に作られた宇宙連合の一部局になる。
世の中には宇宙航行技術を持たない星に乗り込み、進んだ技術で侵略して不当に富を得ようという奴らがいまだに多い。そういった者達から担当惑星を守ることが僕らの使命。もちろん宗教の勧誘や、商品、知識、技術の販売もお断りだ。そういったことには大抵下心があるし、そうでなくても色々とやっかいな問題を引き起こすことは歴史が証明している。
地球人達が自力で宇宙に飛び出し、宇宙連合の存在を知ってその一員になってくれれば、僕の使命は終わる。万が一地球人の側が他惑星の生命を脅かすようなことがあれば、連合軍が乗り込んでくるので、やっぱり僕の使命は終わる。できたら後者にはならないようお願いしたい。

僕は通信機を取り出してスタージャッジ本部にアクセスした。
「こちら0079。出没したのはスブール星ラバード配下のフラーメ十五体。植物の種を蒔いていた模様です。もう芽が出てました」
〈植物ですって!? 大問題だわ!〉
ヴォイスの声は地球の女性の声みたいだけど、実際はずっと高い。一般の地球人には聞き取れないだろう。彼女はあちこちの星に派遣されているスタージャッジの管制員だ。あ、僕は地球暮らしが長いから勝手に「彼女」と言ってるけど、じつのところヴォイスが自然人なのか、ビメイダーか、はたまたコンピュータなのかはよく知らない。

「で、回収した芽なんですが、そちらで調べてもらえませんか」
〈了解です。送って下さい。それからエネルギー局から連絡です。遅れていたエネルギーボードは八サトゥルほど前に貴方の居住地点に送付したそうです〉
「え? ゲイザーにじゃなくて?」
ちなみにスタージャッジは担当している星の近くに船を隠している。僕の相棒はグランゲイザー。月の裏にいることが多いが、不穏な状況になると熱圏以上、衛星軌道未満の地球人にとっては中途半端な位置まで降りてくる。

〈かなりぎりぎりになってしまったのでそうしてもらいました。船に帰る力も無くなってる可能性もあると思われましたので〉
ヴォイスは機械的な調子で、さりげなく恐ろしいことを言う。
「そんなこと心配する前に、間に合うように供給してください! こっちにとっちゃ命綱なんですよ!」
僕は地球人と同じように食事もできるんだけど、それでこのボディを維持してくのは無理。本部から送られてくる特殊エネルギー「HCE10-9」が無いと活動できない。だけど最近微妙にボードが滞り気味で‥‥。

〈ここのところ未接触惑星を狙った悪質な犯罪者が増えています。各星のスタージャッジは大忙し。お陰でボードの生産が間に合わないのです〉
「そんなこと自慢げに言うこっちゃないでしょうが!」
〈遅れたお詫びにプレゼント仕様にしたと言ってましたよ〉
「余計なことはいいですから!」
こっちはそろそろ船に戻らないとだめか‥‥とまで思ってたのに、まったく本部の連中ときたら! 僕のエネルギー残量は、この姿のままで居たとしてもあと二十四時間は持たないとこまできてた。地表で活動停止になってこの身体を地球人に調べられたりしたら一大事。地球にはあり得ない技術が満載だ。皮肉だけど、僕自身もまた地球の自然な進化を妨げる存在なんだ。

スタージャッジがエネルギー切れ等々で"死"を迎えると、ボディは自動的に母船に対して特殊な信号を送信する。船のドックはその信号を受けて、最新の記憶のバックアップを組み込んだスタージャッジを"復元"するんだ。たとえば僕は半年前にバックアップを取っているから、今もし僕がここで動けなくなったら、丸一日もしないうちに半年前の"僕"がここに降りてくることになる。新しい"僕"の最初の仕事は、古いボディ、つまり今の僕の"死因"の調査と消去。そしてその後しばらくは半年分の記憶の欠落による違和感をかかえて暮らすことになるだろう。僕も過去一度だけ経験がある。まあ、好んでやりたくはないイベントだ。

その時のことを思い出して、少々不活性な状態になってしまった僕には構わず、ヴォイスは他の星の状況を色々と話している。
宇宙にはそれこそ星の数ほどの未接触惑星があるが、それを全部守り切るには人手が足りない。だから一つの星の担当は基本一人だ。長い長い期間、故郷から遠く離れた星を一人で守り続けるのは自然人には不可能だから、スタージャッジは必ずビメイダーが従事する。
それでも貴重な資源があるとか、交通の要所だとか、侵略者に狙われやすい星は一人じゃ対応しきれない場合もある。そういった星には例外的に複数のスタージャッジが赴任するが、彼らの任務は往々にして戦闘続きの危険なものになるのが常だった。

〈貴方は地球みたいに資源も無い、他星系への足掛かりにもなりにくい僻地惑星で良かったですね。だから当分一人で頑張って下さいね♪〉
「はあ‥‥」

ではまた、とヴォイスとの回線が閉じた。周囲は既に夏の朝日で満ちている。芽を入れたケースをぶら下げて廃棄物の山の中を抜けていくと、遠くに見える高いビルやマンションの窓が斜めの光をきらきら反射してて、なんだか僕だけが妙に"重い"まま、取り残されてる気分になった。

僕はふうっと大きな溜息をついた。

ビメイダーの僕が溜息なんておかしいのかもしれない。

でもここ何十年か、溜息をつくことが、とても多くなってきてたんだ。

 * * *

現場近くまで乗っていった小さな自動車を操縦して、てこてこと自分の借家に帰ってきた。通常は移動カプセルを使うことが多いんだけど、車で間に合う場所だったから車にしてみた。温暖化ガスを排出してしまうのが申し訳ないが、僕自身のエネルギーを一番節約できて、かつ目立たない移動方法だ。

地球での自動車の構造は発明された当初からあまり変わってない。インターフェースも秀逸。地球人タイプの生命の移動マシンは似た操縦法に落ち着いてくるんだが、地球では最初からここにすっきりと到達した。これで普通に飛べてくれたら有り難いんだけどなぁ。まあ地球の恐るべき交通渋滞を見てしまうと、これが空中だったら大変だ、とも思うんだが、でも僕がいる間に飛ぶ車、出来ないかな。ちょっと期待してるんだ。

僕が前任者の0024からこの惑星を引き継いでからもうすぐ2418年が過ぎようとしていた。最初はずっとグランゲイザーに住んでて、必要がある時だけ地表に降りてきてた。だが千年ほど前のことだ。ばたばたと続けて身体的トラブルが発生し、一時的に帰還させられる羽目にまでなった。でもオーバーホールしても原因は不明。博士達の提案で地上で暮らしてみたら、なんとなく不調が収まって今に至る。

僕は地球用に作られたから地球人そっくりの外見を持ってる。だから地球人の常識に則って行動していれば僕が宇宙人とバレることはない。まあ色々あってバレた場合は、悪いけどその人間に対して記憶処理をさせてもらう。僕みたいなのが地球に来てるってばれると、ほんとマズイから。
ちなみに0024は僕とは全く異なる姿で、地球で言ったら‥‥鳥‥‥っぽいかな? 翼と別に腕はあるし、足も地球の鳥よりがっちりしてるし、全長三メートル近いけど。彼は地球のために作られたビメイダーじゃないんだ。彼が赴任してきた頃、地球では一応人類が数種類発生してたけど、どの種が残るかはまだはっきりしてなかった。で、他の星での仕事を終えた彼が回されたのだと聞いている。だから彼は地表でおおっぴらに活動するのは無理だったんだ。

じつはスタージャッジのもう一つの任務に担当惑星のデータ集めがあるんだが、それも地表に居た方がずっとスムースに進む。特に今の地球の"人"である地球人はかなり"感情"に左右される人種なので、物事の結果だけ追っていると、どうにも理屈が通らないことが多い。だから地表に住み、彼らの会話や暮らしを間近で見られるのは、僕の任務上も良かったと言える。


決められた駐車場に車を停めて降りた。敷地内には三階建ての建築物が四棟並んでいる。今は外装の工事中で、全体がシートで覆われているため全容がわかりにくいかもしれない。全てがワンルームの独身者向けのせいか住民同士の干渉が殆どないことが僕にとっては大変都合が良くて、普段は二、三年で住居を変えるのに、珍しく五年ほどここに住んでいる。

僕の部屋は最北の棟の三階。いちばん駐車場に近い角部屋だ。階段が逆側にあるのでちょいと遠回り。まあベランダまで一跳びの高さだけど、見つかったら大変だから行儀よくしてる。
建物に入るとにわかに周囲の揮発性物質の濃度が高くなる。僕の嗅覚センサーは気体の簡単な分析が可能だ。もちろん生体に害があるものじゃないが、敏感な個体だったら少々不快かもしれない。ちょうど廊下の塗装に入ったところだから、ドアの周囲やナンバープレートや表札もきっちりマスキングされてて、いやはやこういう丁寧さは本当に日本らしい。

そうそう。ここは日本なんだ。偽造してる身分証明書でも今の僕は日本人。僕の外見がアジア系に見られやすいこともあるが、とにかくこの国はトラブルに遭う確率が圧倒的に低い。その上情報の取得ルートに事欠かない割には行政や警察が呑気なのも都合がよく、最近はこの国をよく拠点にしている。
身分証の名前は間瀬藍太郎(まぜ・らんたろう)。地表での名前は本来僕にとっては着ているシャツ程度の意味しか無い。僕はあくまで未接触惑星保護省の所有するビメイダー「スタージャッジ0079」だから。ただ0024がつけてくれた"マゼラン"という名前が気に入ってて、可能な範囲でそれに絡んだ名前にしてる。

製造スケジュールが遅延したせいで、僕は作られてすぐに地球に送り込まれた。連合所属ビメイダーとしての一般的な知識は製造時にインストールされてたが、地球の知識はゼロ。スタージャッジの標準引き継ぎ手順では通常必要な情報は本部で可能な限り取り込んでから赴任する規定になっているのだけど、そんなこんなで僕は殆ど全てを0024から直接教わることになり、引き継ぎも一年近くかかった。
0024は僕の白紙っぷりに驚き呆れながら、色んなことを教えてくれた。出来の悪い生徒が気になったのか、未だに五、六十年に一度は連絡をくれるし、数百年に一度のオーバーホールの時は必ず彼が代理スタージャッジで来てくれて、何日か一緒に居る時間ができる。こう言っちゃなんだが、彼はあんまりビメイダーっぽくない‥‥ような気がする。

四百年ぐらい前に彼が来た時だ。たまたま852銀河と852A銀河が見える位置にグランゲイザーが居て、何の気になしに、あの二つの銀河が気に入ってると言った。そうしたら0024が、興味を示した時の特徴的なポーズ、首をくいっと伸ばして「なぜだ?」と聞いたんだ。

十世紀にペルシャのアル・スーフィーという人がこの星雲を「白い雄牛」と名付けたそうだが、当時の状況では普及は無理だったんだろう。結局フェルディナンド・マゼランの航海日誌に出てくることから、地球では大マゼラン星雲、小マゼラン星雲と呼ばれるようになった。
この二つの銀河はなんのかんの言って地球人の興味を捉え続けている。物語の題材になったせいで普通の人にも知名度があり、手近な銀河だから、あちこちの天文台がさんざん観測して計測して、シミュレーションしてる。今の科学に至った地球人達にとっては初めての超新星爆発もここで観測された。

あの二つは十数億年前に851銀河――つまり地球のあるこの銀河――の近くにやってきた。そのうちまたどこかに飛んでいっちまうんだろうが、さすがに僕の赴任中はあのあたりに居るだろう。銀河ごと彗星みたいにうろうろしてるくせに、あいつらは細く長い水素の橋(マゼラニックブリッジ)でつながってる。それがまた面白くて、なんだか引継ぎの頃の僕らみたいに見えたんだ。もちろん大マゼラン星雲が0024、ぼやんと頼りない小マゼランが僕で。

0024は僕の話を黙って聞いてた。まん丸の目を瞬きもせずにこっちに向けて、いつもふわっとしてる頭部の羽毛がぴったりしてたから、かなり興味を持ってたんだろう。で、「マゼランなら標準語でも悪くないな。そう名乗ったらどうだい?」といきなり言い出したんだ。
宇宙連合所属のビメイダーには自由人が使うみたいな名前は不要だ。同定するなら所属とIDで十分だからだ。スタージャッジとくれば未接触惑星保護省所属のビメイダーであることは自明だし、IDはユニークだから、僕は0079、0024は0024、それでちゃんと同定できる。だから彼が言ったのは僕が地球上で使う名前のことのはずで、それが宇宙標準語としてどう聞こえようが関係ない。0024も変なこと言うなぁと思ったけど、次にヨーロッパに住んだ時に使ってみた。「マゼラン」と書いたり名乗ったりするたびに0024のことを思い出して、結局その後も可能な限りこの名前を入れたりアナグラムしたりして使ってる。


そんなことを思い出しながら歩いてたせいで注意がおろそかになってたようだ。僕が異変に気づいたのは自分の居住区画のドアの前だった。
部屋の中に誰かいる。聴覚センサーの感度を最大にしてもゆったりとした小さな呼吸音が聞こえるだけ。機械音は‥‥時計の音‥‥まさか爆弾? いや、そんなもんかかえて、こんなのんびりした息づかいは無いだろう。

ノブを回したら鍵が閉まってる。なんでさ。侵入して鍵をかける泥棒なんて聞いたことないぞ。とにかく中に入った。玄関に白い小さなサンダルがきちんと向きを変えてそろえて置いてある。
上がり口に防護ケースを置いて、バスや物入れの前を通りメインルームのドアをあけて‥‥そのとたん僕は固まった。ベッドに誰か寝てるぞ!?

枕にウェーブのかかった栗色の髪の塊が埋もれている。そばの棚にはピンク色の時計。かすかに甘い香りがする。手を伸ばしかけたら、その頭がくるりと寝返りをうった。
僕の枕に載ってるのは、色白の整った少女の顔。日本人じゃなさそうだ。と、長い睫に縁取られたまぶたがゆっくりとひらく。貴石みたいな黒い大きな瞳に映り込んだ自分を見つめながら、僕の頭は地球に来てから最大のパニックを起こしかけていた。

少女は一度だけ瞬きをした。唇が開き始める。僕はとっさにその唇に手を触れて、もう一方の人差し指を自分の唇に当てた。幸い少女は叫び出しはしなかった。むくりと上半身を起こすと厳かに宣う。
「あなた、だあれ?」
「き、君こそいったい誰なんだ?」
「わかったわ。あなたが泥棒っていう人ね?」
「ここ僕の部屋なんだよ!」
「うそ。あたしが一人暮らし初めてだと思ってバカにしてるんでしょ」
少女がベッドからとんと飛び出した。パジャマのまま机に近づくと、上にあった鍵を取り上げ、誇らしげに僕に見せる。306と書いたタグがついていた。
「あたしが昨日からこのお部屋を借りました。階段のとこからちゃーんと数えたんですからね」

少女は「まいったか」と言わんばかりの顔で僕のことを見てる。確かに参った。こんなことが起こるなんて‥‥。
「マスキングでナンバープレートが見にくかったんだろうけど、ここ、307号室なんだよ。日本だと4が不吉だからって使わないことがあるんだ。君の部屋、隣だと思うよ」
「そんなはずないわ。住むのは半年だから家具付きでってお願いしたのよ。それに隣の部屋、ドアが開いてたからこっそり見ちゃったけど、中、何にも‥‥冷蔵庫すらなかったもの。あのお部屋もこれから工事するんでしょ?」

「‥‥君、海外から来たんだね?」
少女の日本語はうまかったけど、どこか癖がある。家電が部屋の設備として常識になってる国は実際多い。日本人は他人が使ってたものをそのまま使うことに抵抗を感じる人が多いから、部屋は空っぽなのがほとんどだが、この子が自国の常識で動いたんだとすると‥‥。

「はい。アメリカから来ました。陽子・ジョーダンっていいます。昨日夜遅くに着いたの。廊下の明かりのスイッチがわからなくて‥‥。‥‥確かにナンバープレート、見なかったけど‥‥」
ああ、アメリカは家具付じゃなくても、冷蔵庫とか洗濯機は備え付きが普通だったな‥‥。
「家具付きってのたぶん行き違いがあったんだと思うよ。このアパートにはそういう部屋は無いもの。あ! そういえば君、どうやってこの部屋入ったんだ? 僕は確かに鍵をかけて出かけたし、もし不動産屋から受け取った鍵で開いちゃったんだとすると‥‥」

少女の頬が赤みを帯びて、まるで失敗を見つかった子供のような表情になった。
「あの‥‥。合鍵の出来が悪いんだと思ったの。アメリカじゃよくあることだし。着いたの遅くて‥‥とっても疲れてて‥‥。モバイルもまだなくて連絡できなかったから‥‥、つい、それで‥‥」
机の上に転がってたのは、伸ばして妙な形に曲げられたヘアピン。

思いっきり力が抜けた。
「どっちが泥棒なんだよ〜」
「お家の鍵を忘れた時しか使わないもの!」

それでも少女はすぐにしょんぼりした顔になり、ぺこりと頭を下げた。
「間違えてごめんなさい」
「あ、いや‥‥」
僕がもごもごと何か言いかけてるうちに、少女はベッドの足元から大きなスーツケースと旅行バッグを引きずり出した。枕元の時計をバッグに入れ、クローゼットのハンガーから洋服を取り出して手に持つ。そうなるともうバッグを持つだけで精一杯だ。僕は二つの荷物をひょいと持ってやった。
「手伝うよ」
「すごーい! あなた力持ちねー! パパだってすっごく重そうだったのに!」
「パパ? ちょっと待って。お父さんも一緒だったのかい?」
少女はぷるぷると首を横に振った。
「ううん。パパは送ってくれただけ。でなきゃ一人暮らしになんないでしょ?」
「あ‥‥うん‥‥。そうだね‥‥。そうだけど‥‥」

父親が一緒に居ながら隣の部屋に入っちゃうって‥‥どうなんだ? もう、大丈夫なのかな、こんな子が一人暮らしって‥‥。‥‥だめだだめだ。深入り禁物。
部屋には電送機を組み込んだ冷蔵庫があるだけで、あとは全部地球のものだから、たとえ泥棒に入られても問題は無いと思ってたけど、まさか住み込んじゃう地球人が現れるとは‥‥。特殊ロックを付けた方がいいかな。でも余計な技術をあんまり持ち込みたくないしなぁ‥‥

思考が空回りしている間に、少女はサンダルをつっかけて部屋を出て行く。バッグとスーツケースを持って廊下に出ると、彼女は隣の部屋のドアにとりつき、鍵を開けたり閉めたりしていた。
「ほんとにこっちの部屋だったのねv」
少女は僕に向かって屈託のない笑顔を向けた。開けたドアを押さえると、両手に荷物を持った僕を招き入れる。荷物を置いた僕に小さなミストレスは手を差し出した。

「どうもありがとう。ええと‥‥お名前は? あたしのことは陽子って呼んでね」
「僕は、間瀬藍太郎」
まっすぐに僕を見つめてる黒い瞳に吸い込まれたみたいに僕の姿が映り込んでる。僕はおずおずと右手を出して‥‥、次の瞬間、自分の言葉に自分で驚いていた。
「マゼランって呼んでくれる?」

「はい、マゼラン。とにかく色々とごめんなさい。これからもどうぞよろしくね」
少女はにっこりと笑うと、僕の手を両手で包むように握り返した。

閉めた彼女の部屋のドアを見つめて、僕は自分の言葉を反芻していた。
なぜ、名乗るだけで止めなかった?
なぜ、彼女に名前を呼ばれることを想定した?
それ、スタージャッジとしてありえないことだろ‥‥?

向きを変えて自分の部屋に戻りながら右手を開いたり閉じたりしてみたら、少女の華奢な指の感触が、ひどく鮮やかに残っていた。

2006/7/29 改稿 2013/06/16

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